注目は、浅田よりこ氏、小林美江氏、岩崎加根子氏、女優三世代による朗読。今時の演劇現場で、「読合せ稽古」って皆無なんだよね。どうせ稽古初日に脚本脱稿してる現場少ないし、まして劇作家で自ら本読みする人もなし。台詞を吟味するなんて、する現場が古臭いのか?ダサイのか?マジで「本読み」と「読合せ」の違いを知らない演劇人も続出だし 。しかし「リーディング」だもんね。声が世界をイメージさせなければならない訳さ。しかも、俺仕込みのオーニョの演出です。芝居する音楽(保坂修平氏)とも丁々発止しなげればなりません。皆さん頑張りました。特に大先輩加根子さんご苦労お掛けしました。でも、この贅沢な空間が、オーニョのボスとして誇らしかったです。「葉桜と魔笛」の多重などんでん返しは、お涙頂戴風な、人間の優しさが生む「哀しさ」で、これが太宰!?と目から鱗でした。芸達者な藤崎卓也氏に比べ、生キャラクターで責めた鳴流屋さん。「あのさ 」お互い終電車の別れ際、本音は言うといたじゃけん。
あれからもう4年近く経つんですね 。稽古いろいろ大変だったけど、地方公演も含めて楽しかった。あの辺りからですね、立役が自然に勤まるようになったの。それからの積み重ねが「三五郎」に至りました。
11月21日(土)~22日(日)本番のスタッフ打合せを、僕が夏から秋に掛けて身動きが取れないので、早々と。地元の俳優さんをオーディションで選ぶ予定です。演目も決まってますが、まだ内緒っす。ミュージシャンの生演奏付きなんで「セッション」なんですよ。このシリーズ、松尾スズキ氏、鈴木勝秀氏、白井晃氏、鐘下辰男氏、竹内銃一郎氏、鈴木聡氏、などソウソウたるメンバーが過去に演出してるんですね。写真は北九州名物というか、当り前にうどんやそばに乗ってるそうで、本州に出向いた地元民が、「なんで『ごぼ天』乗ってないんだ!」となるとの事。ごぼうの天ぷらというと、東京だと大概千切りにしてかき揚げ状態ですけど、こちらのは殆どそのまま!でも柔かくて美味しい。揚げる前に、湯がいていると見たが
。
行って来ま〜す!
15年コクーンで苦労なすった、串田氏の現段階の一つの到達点の「翻案劇」として、とても巧妙な舞台でした、少し冗漫な所もありましたが 。現代劇の脚本、演出、俳優に囲まれて、歌舞伎表現というのは所作&演技様式とも、「具象」オンリーだと改めて気付きました。これは文学含めて、「抽象」という概念がない日本特有のものでしょうか?訳の分からない自我と戦うには、「具象」が邪魔をする。その点、大竹氏、白井氏、笹野氏、古田氏、井之上氏その他ベテラン勢、その中に、おそらく唯一、「桜姫東文章」のドラマに関った経験のある(「清玄」役経験者)、曲屋(まがりや)佐藤誓氏含め、得体の知れない「人間」という迷宮を、硬軟巧みな演技で体現していて奥深い。脚本で冗漫と感じた箇所は、現代戯曲の必要悪、人物がテーマに関る台詞を言い出す数箇所。言葉に頼らず、身体そのものにテーマを託す古典劇との大きな違いだね。古典と現代、いつまでも答えの出ない大きな、そしていつもぶつかる大命題を、改めて感じた舞台でした。各劇場の歌舞伎興行を終えた、役者様方が賑やかに客席にいらっしゃいました。