邦楽を楽しむ会/京都観世会館

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DVC00502.jpg叔父(母の従兄弟)の誘いで初めて拝見。京都の旦那衆が日頃のお稽古事を、プロ中のプロ達を助演に招き披露する演奏会。60年で111回を重ねた、記念すべき今回、十五世片岡仁左衛門丈が、常磐津「廓文章」で立て三味線を担当すると聞き、花組本公演大阪入りの前に、秋の都を訪れました。


DVC00499.jpg昔日の京都商人は、お謡や邦楽などの芸事をお稽古し、花街のお座敷でほんの余興として、酔いに任せ日頃の積み重ねを、お肴に饗するのがステイタスでした。折角の修練を、勿論素人ですから、無料で皆様に楽しんで貰おうという会(だと思う…。実は詳しく聞いていない。違っていたらご免なさい)。


DVC00501.jpg第一回から関わっている、人間国宝常磐津一巴(いちは)太夫他、小唄(堀派)、哥澤、長唄のお師匠さんらに加え、お囃子で参加した宮川町の芸妓衆、立ち方として先斗町と祇園からも、そして、当代の伊左衛門役者、十五代目松嶋屋の演奏。観世の能楽堂が立ち見で一杯な会となりました。


DVC00500.jpg実は、誘ってくれた叔父が、会の世話人でもあり、「廓文章」と「箙源太(立て唄!)」で日頃努力の咽喉を聞かせてくれました。叔父は河東節も趣味で、市川家の助六では常に簾内で唄っています。


終演後、関係者のみの宴席へも潜り込みました。その場所が、何と「瓢亭」!腰掛茶屋だった頃から400年という、京都でも有数の料亭に初潜入!一巴太夫、十五代目共にご臨席であります。「瓢亭玉子」や明石の鯛、松茸、鱧、鮎、柿etc.美味に加えて、座敷をハラハラと彩る、出演した芸妓衆の接待付き。もう驚きの一時でした。お一人お一人の着こなしに自然目が行って、随分怪しげな客と思われたかも知れません。実際、勉強になり、明後日の舞台で実行してみよう(裏で着付の手伝いをしてます)と考えてます。客席からは判らないこだわりですが…。

人心地

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ようやくです。創るのが精一杯で、自分の出番を少なくしたのですが、初日からどうも精神的な余裕がなく、現場々々で過ごしてしまい、書くべき事も書かず終い…。遅まきながら。

「中村芝翫」

戦後から平成、どんどん加速する歌舞伎女形の女性化は、今やニューハーフとの差を縮めつつある。昔日の濃厚な女形芸は、若い女性達に毛嫌いすらされている。

ま、江戸時代でも、接待業を主とする美少年「色子」が、女形予備軍として舞台に立っていたから、あながち「反」伝統ではないが、それは「時分の花」という了解があっての事だから、醜の中にこそ美があるという歌舞伎の美学は崩れなかった。

歌舞伎好きの女子から実際に聞いた声、「芝翫の女形?(笑って)見ない、見ない」…。或るインタビューで、今の女形が、見た目にキレイでないと受け入れられなくなったのは、戦前から女形を生業にしている自分達の至らなさだと嘆いていた。

岸田劉生が明治の御代に既に瓦解を憂いていた、歌舞伎の泥臭さを、江戸当事と比較すると随分薄まっていたではあろうけれど、幾分なりとそれを体現する名優が、又一人消えて行った。

実際の演技は、六世菊五郎が世々に広めた「近代」で、しかも容姿は錦絵的な古風さを湛えるという、好劇家には堪らない条件を備えた役者だった。

濡衣、雛鳥、初菊etc.何処か寂しげな娘役が似合っていたのは、幼くして父を失った苦労人であった、彼の人生に因るのか…。合掌

スズカツが15年ライフワークにしている「ウエアハウス」という外題。エドワード・オールビー「動物園物語」をモチーフにした8作目(同じモチーフによる新作)は、新劇団とのコラボ、「circle(円)」版。

橋爪功氏と金田明夫氏との、硬軟フル稼働の競演!相対する硬軟のみならず、最終的には破滅と救済が混然とするドラマは、モチーフ以上と言われるこのシリーズ。演出家として、役者として是非見たかった。当然、手答えは確かな舞台でした。公演間近のスケジュールで、無理して良かった。座員達よ、これを持ち帰ります、よろしく。

大所帯の俳優の中から選ばれた8人だからだろうが、出演者全てが巧みで羨ましい。最近、「好き」と「嫌い」は同義語じゃないかしらん!と都度々々思う自分には、イチ玄人目、イチ素人目共に、楽しく見る事が出来ました。

生れ変った!

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「いらっしゃいませ」と「有難うございます」を渋々言う店長夫婦は客の前で口喧嘩し、バイト連も横柄という、近所でも悪評高いコンビニが、ついに店長交代!ハキハキと丁寧な若き新店長以下、バイト君達も一新。先日様子を見に行ったら、長い茶髪をポニーテールにしたお兄さんが、言葉使い正しくテキパキと応対してくれた。勿論、来店者には全員「いっらしゃいませ!」二度と使わない宣言をしたが、この様子なら多いに利用させてもらおう。

男女川恋松(みなのがわこいまつ)

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初代が名乗って以来、140年以上途絶えた事のない「市川猿之助」の名前が、更に寿命を延ばす慶事に加え、46歳の香川照之さんが、如何に実力派の男優とは言え、テクニックだけではどうにもならない、蓄積が物を言う歌舞伎役者になる決心をした。

しかも先代先々代と名優が続いた「市川中車」を九代目として襲名するのだから、いろいろ意見もあろう。実は僕も、聞いた当初は動揺したが、今は彼を賛美する。何しろ、「かぶき座の怪人(21世紀版)」に登場する男女川恋松のドラマは、他ならぬ、1才で生き別れた父に、20数年後の再会を拒否された彼の悲劇が元になっているのだから、彼へのシンパシーは人一倍なんだと思い返した。

猿之助歌舞伎が大ブレークする前、「猿之助百年記念」の若々しい舞台。若気の至りで、澤瀉屋の仕事に批判めいた発言をした僕を気遣い、扉座の横内謙介氏がお膳立てしてくれ、帝国ホテルのロビーで、三代目と熱く歌舞伎を語ったあの3時間。弟子の右近君と僕が共演した「シラノ」の終演後、身体は杖に頼る状態だが、明晰な頭脳で舞台を批評していた、青山円形劇場の楽屋。

それらを思うと、老いと病に直面している今の三代目が、痛々しくもある。が、襲名発表の、幾分芝居掛かった記者会見を見て、四代目五代目への道筋を英断した、三代目の、もしかしたら最後になるかも知れない大仕事が動き出したと、ひどく興奮した。

歌舞伎評論家の犬丸治氏が「壮大な実験」と表した、今回の三世代四人による大襲名。息子と共に歌舞伎を学ぶ香川さんに、僕は大きなエールを送りたい。そして来年の6月は、劇団皆で総見をさせて頂こうと思う。

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