露の五郎兵衛氏逝去…。

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「露の五郎」から襲名なすってたんですね(2000年)。テレビ小説「あすか」で芦屋雁之助さんと共にお世話になりました。印象的なエピソードとしては、方言指導の先生が竹内結子ちゃんに、「はナび(花火=二字目の『ナ』にアクセント)」と教えていたのを、お二人で「先生ちゃう。京都は『ハなび(一字目にアクセント。つまり共通語と同じ)』や」と、撮り終えたシーンがやり直しになった事がありました。親族の大半が京都人なのですが、「京訛り」と「大阪弁」の違いをそれまで具体的には意識していなかったのですが、意外に平板なのに気付きました。合掌…。

20年振りのスキー

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全くのお遊びなんですが、こんな時「アレ?こいつこんな事が出来るんだ」「あんな顔するの初めてだな」など、新たな発見をする時があります。役者はその人となりや、越し方が演技に出ますから、そういう観察って必要ですね。ま、しんどいですから、四六時中アンテナ張っている訳ではないのですが、ほとんど演出家(座長?)として職業病なんでしょうね。見えちゃう。『強化合宿』は大袈裟ですが、ちょっとした事が、常に芝居作りに関わって来るのは確かです。あ、スキーもボードもお芝居も「腰」だ!という実感は得ました。

藤間紫さんご逝去…。

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新橋演舞場(演出&出演)「花たち女たち」でご一緒させて頂いただけでしたが、稽古前の初対面(帝国ホテルのロビーで3時間、豊富なお話を伺いました)から、稽古~本番、ともかく華やかなイメージに終始したお人柄でした。スキャンダラスな時期もありましたが、日本舞踊家として女優として、誰もが一目置く方だった事は事実です。猿之助一門の「お母さん」として、弟子たちの信頼が絶大だったであろう事は、大きな方ながら、吹けば飛ぶ立場たった僕にも、真摯に接して頂き本当に有難かった。ご主人の三代目が気落ちなさらなければ良いのですが…。

新潟三俣

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スキーに来ちゃった!那河岸屋と鳴流屋はスノーボード。俺は季蛙屋に教わりつつスキー。3回目だけど、この前は20年程前かな。覚えとらん!1からやり直し。でもコツを掴むのは早かった。が、体がついてこず、2日目のオジサンは宿でお休み。若い連中は「筋肉痛だ…」と言いながらも勇んでスキー場へ出掛けて行った。さ、もう一眠りして温泉でも行くか。

国立劇場三月花形歌舞伎。国立らしい「皿屋敷」部分の丁寧な上演で、作品の骨格が良く判りました。復活(作る側は、つまり新作)場面は、孝太郎君の古風(昨今流行の、「女の子女形」と違うという意味で)な女形の活躍で、厚みが加わる。三幕目(みまくめ)宗五郎内、余計な客受けを一切しない、型通りという方針(ご本人の談)が、何より潔し!最近肉付きといい、基本に忠実という心持もあり、お祖父ちゃんそっくりな瞬間が幾度もあり、殆ど涙々の見物でした。林家きく姫氏の司会によるアフタートークが珍しい。番外のイベント故か、休憩の間に、自分の座席が乗っ取られてしまうシステムにちと不満…。恒例、歌舞伎好きの那河岸屋引き連れ、終演後赤坂で飲み明かす。今見たものを肴にする醍醐味をいつも感じる。有難う。

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