始まっちゃいました、顔合せ!僕にとっては初共演(あ、伊達っちは別っす)の皆様ばかりなので、個人的には身が引き締まる感じなのかな?そんな中、長塚くんの、何処までも朴訥で自然な気配りが引き立つ。そんな空気に浸り切る間もなく、結城座の現場へ駆けつける。始まっちゃいました、掛け持ち!とんでもなく「大雑把」だけど、4日目で『通す』とはッ!?「安全ネットを張らない空中ブランコみたいでした」通しを終えて、フレデリックの感想が的を得すぎ 。だって、台本持ったまま人形操って、段取りも不安定のまま、ともかく通しちまえ!だもん。「トレビアン!皆さんのお陰で、この後の稽古が捗ります」嬉しそうな演出家に、お互いゼロからの創作だからこちらも嬉しい。
稽古の合間に伺った、流石伝統!のお話。当代(十二代目)結城孫三郎氏のお祖父様九代目さんは、歌舞伎や落語の名前も持って居た程多才だったとの事。ご子息の十代目(雪斎)さんは幼少から六代目菊五郎に可愛がられ、猿回し与次郎(「近頃河原の達引」俗に「堀川」)を勤める時の糸操りの猿は常に「結城に」という具合だったそうです。十七代目勘三郎が与次郎を勤めた折は、例の六代目崇拝からか「結城に」という事で、当代がお兄様や妹の千恵さんと交代で操ったそうです。その時の伝兵衛が十四代目守田勘弥、お俊が七代目尾上梅幸というから、もう生きた歌舞伎昭和史です。その上、当代は武智鉄二氏の元で古典を学んだという経歴。結城座には大歌舞伎では既に埋もれた作品も幾つかレパートリーにあるそうで、「鵜飼の勘作(日蓮聖人御法海)」の女房お伝の狂いは雪斎氏の十八番でした。歌舞伎では六代目歌右衛門が「莟会」で一度復活した以来絶えてます。結城座初演と伝わる「先代萩」の政岡は、現行歌舞伎にはない古い型が残ってます。こんな重層な歴史に培われた現場で、フレデリック(演出)やローラン(美術)と共に、新しい演劇を作ろうとしてます!
もしかすると(演出)の予言通り、2日目で立ち稽古!演出家がこんなシーンにしたいなの一言で出て来る!出て来る!様々なお人形。一つのイメージを聞いて「あ、〇〇(タイトル)の〇〇(役名)」「あ、あれね」と倉庫に向かう座員が運んで来た人形たちのバラエティー!あ~あ、役者もこれだけ引き出し増やさないとね 。
通訳交えてなので少し手間が掛かりますが、濃厚な6時間でした。ともかく今まで読んだ事もない形式で書かれた戯曲で、演出家の提案を聞き、ああかな?こうかな?の読合せでした。この予備稽古で、演出の様々な可能性をフレデリック氏が持ち帰り、来春の本稽古に備えるという仕組みです。暫く、370年の歴史ある「結城座」の稽古場通いが続きます。