稽古の合間に伺った、流石伝統!のお話。当代(十二代目)結城孫三郎氏のお祖父様九代目さんは、歌舞伎や落語の名前も持って居た程多才だったとの事。ご子息の十代目(雪斎)さんは幼少から六代目菊五郎に可愛がられ、猿回し与次郎(「近頃河原の達引」俗に「堀川」)を勤める時の糸操りの猿は常に「結城に」という具合だったそうです。十七代目勘三郎が与次郎を勤めた折は、例の六代目崇拝からか「結城に」という事で、当代がお兄様や妹の千恵さんと交代で操ったそうです。その時の伝兵衛が十四代目守田勘弥、お俊が七代目尾上梅幸というから、もう生きた歌舞伎昭和史です。その上、当代は武智鉄二氏の元で古典を学んだという経歴。結城座には大歌舞伎では既に埋もれた作品も幾つかレパートリーにあるそうで、「鵜飼の勘作(日蓮聖人御法海)」の女房お伝の狂いは雪斎氏の十八番でした。歌舞伎では六代目歌右衛門が「莟会」で一度復活した以来絶えてます。結城座初演と伝わる「先代萩」の政岡は、現行歌舞伎にはない古い型が残ってます。こんな重層な歴史に培われた現場で、フレデリック(演出)やローラン(美術)と共に、新しい演劇を作ろうとしてます!