黒塚/木ノ下歌舞伎

| コメント(0) | 修正

やっと見た。そして思った、「28年、待ってたよ、同じ志を持つ後輩よ!」

歌舞伎好きってのは、基本「やりたがり」である。やりたがるという事は、視聴覚全てが一緒に芝居をしてくれる、あの昂揚感を演劇的に感応したい。昔の、古典系の研究家や評論家で、邦楽やら日本舞踊やら、お稽古事をしている先生は少なくなかった。

面白いのは、歌舞伎好きは、監修の木ノ下裕一君であり、彼は実働班でない。演出の杉原邦生君は、範疇を言えば現代劇の人。歌舞伎とのこの距離感が良い。

自分は所謂「やりたがり」である。しかしそれと同じ位、あの古典とか現代とか、そんな基準を突き抜けた、大胆不敵な演劇性を、一部の特権階級の手から解き放したい!

旗揚げ当初、嬉しい事を仰有ってくれた批評家氏がいらした。「花組芝居は、歌舞伎ありきながら、必死に歌舞伎から離れようとしている」己れの行く道を気付かせてくれた。

「黒塚」に「奥州安達原」を綯い交ぜにした構成。岩手の台詞が二代目猿翁写しで微笑ましい。振りや仕種を真似でなく、効果的に取り入れているのが大人の判断。実は、この取り入れ具合が、古典と対峙する時の、面白くてしかも厄介な点なのである。

監修木ノ下君の匙加減が、僕と違うようで、実は大根(おおね)が同じだという事が今回判った。

花組芝居の「歌舞伎的要素」の、使い方と質に関しては、旗揚げ以来、大好きと大嫌いが相半ばである。ひどく大雑把だが、古典を「芸能」から見る研究家は、郡司正勝氏以来、歴代面白がって頂いているが、「演劇」というスタンスから古典を把握なさっている研究家は、我々の表現は鼻持ちならないらしい。

その尺度で見ると、木ノ下歌舞伎のそれは、随分「大人」なアプローチのようである。

いや~、面白くなって来た!


コメントする