ネットの恐怖が騒がれる中、ネットの良さがクローズアップされた。が、これって、京都という「慮り(おもんぱかり)」文化が伝統になっているから可能だったと、個人的には判断します。同様の事が東京で起こったら、パニックになったろうし、悪用する輩も出没したでしょうね 。「一見さんお断り」閉鎖的だけど、それは外界を慮り過ぎるからで、根元は「気遣い」の延長なんです(初めてお会いするんでは、どうおもてなしして良いか判らない 。これが理由です)。送り火の護摩木問題以来、ちょっと引け目だった、血だけ京都人としては、久し振りな快哉でありました。
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