3ステージ無事終了!

| 修正

あちこちの書き込みを拝見して…。
〇原文に書かれていない、独自の設定が実は随所にあります。ドラマの一部でなく、一つの役として考えて、ある仮想がないと流れない所があるんですよね。それがある種の見えない伏線なのかも知れませんね。岡田嘉夫氏のイラストから膨らませた小道具プラン。見事に暴走してくれました。何がスゴイって、皆実用的なんですよ。
〇是非、氷室冴子さんに見て欲しかったです…。我々の目指す方向を、的確に把握してくれていらっしゃっただけに、ご感想が伺えず悔やまれます…。

木挽町歌舞伎座の迫り

| 修正

「歌舞伎チャンネル」で歌舞伎座の現お名残幕内映像を放映しているのですが、昔、盆には、松・竹・梅の三つがあったと思ってましたが、どうも「梅」は今ないようですね。六世中村歌右衛門主宰の第1回「莟会」(昭和29年)で、当時劇団枠が邪魔して共演が叶わなかった、十一世団十郎、二世松緑、大成駒が「鴛鴦襖恋睦」で三人揃って迫り上り、客席がどよめいた「梅迫り」は、いつから無くなったのかしら?

ブラタモリ「二子玉川」

| 修正

玉川高島屋にかつてあったボーリング場、小学生の頃良く利用しました。多摩堤通りの堤の出来た由来が、料亭の要望だったとは!?確か、阿部定が当の愛人と遊んだのがここらかな?同じ多摩川でも二子新地だったのかな?当時は両岸が色街だったのでしょうね。戦時中は疎開地だったとも聞きます。砧線は廃線直前に乗りました。徳川将軍も訪れた行善寺は、小学校の通学道でした。再開発中の「二子玉川」どんな町に生れ変るんでしょうね…。

二子玉川の飲食店

| 修正

地元に住んでたり、また出入りする人間は、足を伸ばせば都内頃合の店を利用出来る立場なんだから、川岸のこの界隈で、チェーン店然としたメニューやら店員の応対では、生き残れません!(今宵数人と訪れた、今夏「新規参入」の店がそうだったので…) デートコースを売り物にする二子玉らしくない、学生&会社員、そして我々花組も足茂く出入りする、或る古株居酒屋はメニューこそ凡庸だが、その中にも常連が嬉しがる品々があり、そして何より店長以下、お客の顔覚えが早い。その他、同じ客商売である演劇の世界も同様で学ぶ事が多いです。「この店、チェーン店ですか?」に答えられない店員。しかも、なら、「判る者を呼びます」と正規社員に対応を任せる機転もない。ラストオーダーの際に、「飲み物もラストです」の言葉がないので、飲み足りなかった我々…。大概の店が飲み物のオーダーリミットを別にしているのに、それの言葉の配慮がない。こんなので激戦「二子玉」で生き残れるのか??乞うご期待…。

30代の皆さんとご一緒する事になりました。実は、実際の稽古前のワークショップに本日参加しました。ロンドンで得たものを使い、帰朝一作目への実験現場でした。答えのない試みをするのは、俳優も演出も頭使うね。新しい方法を探す作業は、花組では当り前なんだけど、型が想定されない等身大の現場でのエチュードは、大学以来かな。長塚君の知的で朴訥な仕切りに不思議な説得を感じました。俺より下の世代って、劇団公演でも客演当り前だから、横の繋がりが広くて羨ましいね…。20代に至っては、フリーでそれぞれユニット公演渡り歩いてる感じなのかな?

« < 前の5件 | 277/342page | 次の5件 > »