1994年、第一回コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談」で制作の一人だったH氏。花組芝居「雪之丞変化」旅公演の合間に、渋谷へ赴いた時、彼は既に現場には居なかった 。雪之丞は、彼の奔走で道頓堀中座の公演を果たした。あれは置き土産だったのか 。
松竹入社以前から親しかったH氏。永山会長の引き上げで、歌舞伎座の監事室から歌舞伎のプロデューサーへ。友人の贔屓目だが、まさに社長コースを歩んでいた筈である 。
そんな思い出が去来する中、満員の客席から、全く大歌舞伎とは違う世界(=串田さんの世界)を拝見した。
スーツ姿の素顔なサラリーマンと白塗りの女形が混然と行き交い、下座と同じ良きタイミングでハイセンスな音楽が流れ(ホーミーは怨念に合うな)、いつもの場面プラス、三角屋敷は元より、仏孫兵衛内(「小仏小平住居」となっていた。小塩田隠れ家とも)も丁寧に上演しながら全編3時間という手頃さ。
終演後、串田氏から「思う所があるでしょ?」と言われた。勿論様々あるけれども、何よりかより23年費やし、大歌舞伎を自分の掌に握り切った偉大さは、誰も越えられない。おこがましくはあるけれど、改めて、我々花組芝居の好敵手は「コクーン歌舞伎」なのかも知れない、と思い、妙に嬉しくなった。
「配達されたい私たち」で共演した一色洋平君が、花組版「いろは四谷怪談(20世紀版)」同様に、ハンチングを被った洋装の質屋(古着屋)で登場する仏孫兵衛内の場。現代劇チームが大半という助けもあってか、世話場らしく溶け込んでいた。
児玉竜一氏が新聞評で、大歌舞伎での全幕上演を望んでいた。それが本来の良識であろう。
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