大学同期の息子さんが深川江戸資料館で日本舞踊のお浚い会に出演するというので、先月に続き清澄白河駅に降り立つ。
大名家の下屋敷だったものを、明治に三菱財閥の岩崎弥太郎が整備した「清澄公園」沿いに、看板建築の名残りか?珍しいので伝って行った果てに、明治の伝統を受け継いだ深川図書館。いい感じ。
深川丼を久し振りに、と歩いたが生憎GWで、どの店も空き席待ちの列
。代りに見付けた印度料理「サッカール」。
小さな作りだが、650~990円のランチが味良し、鼻筋の通った印度人店員が、ソフトで丁寧な応対なんで、深川名物を食い損ねた口惜しさが一掃された。二子玉のご用達「TAJKUTI(タージクテイ)」の店員も穏やかで、印度人共通なんだろう。
さて肝心のお浚い会、会主は桃川亜紅師と仰有り、かっぽれの継承者でもあるそうだ。大道芸だったものを、お座敷で旦那衆に見せる表現に高めた、明治の豊年斎梅坊主から、五代目の豊年斎を継ぐ、二代目櫻川ぴん助が居るが、亜紅師もかっぽれの踊り手として活躍しているようだ。
梅坊主が、九代目團十郎にかっぽれを教える時、「元は大道芸ですから」と座敷から庭へ下りたという。なので、歌舞伎で「かっぽれ」を踊る時は、必ず白足袋に草履を履くのが決まりらしい。
という訳で、「亜紅の会」は切りに一門によるかっぽれの総踊りで打ち出していた。
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