十代目坂東三津五郎

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1991年「泉鏡花の夜叉ケ池」初演時、トークゲストにご出演頂いて以来、折々にお世話になって来たので、一文で言い尽くせないのだが、先へ進む為には、あるケジメはつけないと、などと思ったりして…。

「加納君を呼ぶには、色々考えなくちゃならないしね」

こんな活動をしているので、歌舞伎を演出したら?という声は、梨園の外では確かにあったが、してる事が近い分、僕自身、中へ入るべきではないと感じていたし、三津五郎さんも流石慎重だった。

一度だけ、舞踊なら、という大和屋の思い付きで、日本舞踊協会「南総里見八犬伝」を演出させて頂いた。故「中島梓」さんのご本だった。その現場へは、水下きよしが演出助手としてついていた。水下が亡くなった時、「俺も中村屋を失ってるから、貴方の気持ちが良く判るよ」と涙を流して慰めてくれた。

二回だけこちらから提案した事があった。

一つは「マクベス」の歌舞伎化、これは脚色の段階で、僕の力が及ばず、言い出しっべなのに、こちらがギブアップしてしまった。

もう一つは、今や幻の作品となってしまっている宇野信夫氏の「柳影澤蛍火(やなぎかげさわのほたるび)」。

二枚目という武器を使い伸し上り、破滅して行く柳沢吉保。三代目実川延若が専売にしていた役、ニンといいピッタリと考え、長編の作品を随分縮め、初演時、戯曲上の問題点と指摘されていた箇所に修正を加え、勿論、全く以てプライベートの作業だったが、チラッとその過程をお見せした事があった。ご本人も乗って下さったが、日の目を見ずに終わった。

ここ数年は、矢張り分相応の活動場所で、目標を全うすべきと気付き、妙な色気は封じ込めている。そこへ三津五郎さんご本人のご逝去…。何だか、どんどん遠ざかって行く気がする…。


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