初めてお会いしたのは、1984年パルコプロデュース「カスバー」の現場だった。寺山氏没後、その去就が注目された若松武(武史)兄さんが、フリーとしての初舞台。福士恵二さん、日野利彦さん、といった元天井桟敷の皆さんと、お稽古も桟敷システムで二か月みっちり!
そんな中、プロデューサーをなさっていたと思う。垣間見た若松さんらとのやり取りは、全く「お母さん」のようだった。
今年になって本当にお久し振りにお会いした時も、30年前と変わらない笑顔で「まあ、元気にやってる?」「はい、どうにか頑張ってます」だったのに 。
所縁の方々の弔辞、宇野亜喜良氏、萩原朔美氏、と続いた後、颯爽と九条さんの遺影の前に立った女性。 「新高恵子」さんだった!
寺山戯曲のテーマを、澄んで張りのある伸びやかな声で朗々と語る看板女優は、天井桟敷の解散と共に引退していた。僕にとっては幻となった大女優が、当時と変わらない声で、寺山氏との出会いからを歌も交えて語る!圧巻だった。
今年は送る人が多い
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