長塚圭史君が果敢にシェイクスピア初挑戦!しかもマクベス。
「夏夢」を演出した経験から言うと、沙翁劇の中でも、これらの名作と呼ばれる作品には「こうあらねばならない」というハードルが明確に存在します。そっから外れようとするとエライ目に合う。本番のみならず、創作の現場でも 。
そんな目で見ると、圭史君がしたであろう死にもの狂いの戦い振りに、手放しで恐れ入った次第である。
円形舞台を利用して、人物の存在非存在、もしくはその間、それぞれの状態を、客席の椅子まで使い、巧みに表現!魔女が空席に座り込む事で示した「消滅」は、どんな仕掛けも叶わない。
森の移動、正義の乱痴気騒ぎetc.をテーマパークのアトラクションにしてしまう発想の根は、実はヨーロッパ的なんだけどな 。つまり正統なの。
日本人演出家が既成枠を壊そうとすると批判されるが、外国の演出家が「遊ぶ」と絶賛される。この偏見は何だろうね 。
学校が違う筈の俳優達が、個性的なその楽器を、何故かシェイクスピアというと、同じ奏法でこなそうとする、これまた不思議なもの。などの難しさが、逆にシェイクスピアを演劇人にとって魅力的にしているという事実の方が、もっと不思議。そして、かく言う僕も挑戦したくなるというおそまつ 。
圭史君、天邪鬼屋(山下禎啓)さんお疲れ様!また、この企画を決行したシアターコクーン万歳!
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