プルーフ(証明)/ウォーキング・スタッフ(ネタばれ)

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定評ある名作を上演するのは、ある種の乗っかりがあるだが、演出家はだからこそのプレッシャーを背負わざるを得ない。

和田憲明氏の世界に二度携わった人間として、稽古の追い詰め方は殊更だったのではないかと類推する。憲明氏の創り方は、本番千穐楽まで猶予があるという拘りなので、2ステージ目はまだ序の口なのだろうが、舞台での彼らを見るに、そのギリギリ感は察するに余りある。

始まって暫く、この芝居、どの方向に展開するのかが曖昧のまま進む。その内、あ!恋愛物かと判断する直後、突然サスペンスな急旋回を見せ、最終シーンで再び綺麗に恋愛物定番に帰結する。このいびつなウエルメード芝居を、憲明氏特有の細部に妥協しない緊密感のまま会話が続くのだから、浮つきの欠片もない引き込み具合が、芝居見物の贅沢さを味あわせてくれる。このジェットコースター的な快感は、憲明演出によるものかも知れない。

40年前頃か、雑誌のグラビアに、女装癖のある超有名大学数学者が、緑魔子嬢と並ぶ写真を見た記憶が蘇った。「数字」という夢想に漂う「数学者」の、狭い価値観ではあるが社会常識というものからの外れ具合は、他人事でない、と感じた僕は、今、大嘘つくのが身上の仕事をしてます。


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