「GO!!ALL」の千穐楽を前に、大野社長自らの運転で、静岡の名所巡りを致しました。レンタカーって借りるのに、いろいろ面倒臭い手続きやら確認事項があるんですね。ま、後で知らん振りやらゴネたり出来ないようにする為にも必要ではある。
もう季節外れの「いちごロード」を東へ、先ず、先日世界文化遺産に逆転登録が叶った「三保の松原」。平成22年に三代目を受け継いだ「羽衣の松(樹齢200年)」。枯死した二代目(樹齢約650年)はこの間伐採されました。初代は、富士山の宝永大噴火で海に没したそうです。
どなたが作成したか、浜辺に小石で「オメデトウ セカイイサン」とありました。
続いて「久能山東照宮」。花組版「婦系図」幕切れの舞台です。徳川家康の身長が155cm、体重60キロ、だそうで、何と大野がそのサイズに近い。今日半日「大権現様」とお呼びましょう。楼門の色彩と衣服も同化してましょう?
家康死後、二代将軍秀忠の命により1年7ヶ月という短さで造営。海抜270mの絶壁に、絢爛総漆塗り、桃山様式の建物が出現します。現在はロープウェイで、見るからに人が入り込めそうにない「屏風谷」の上空を一飛び南下して境内に入りますが、本来は海側から1159段の表参道(十七曲がり)を「一々ご苦労(1159)」と唱えながら登ります。
健脚な参詣者もうそうですが、宮に勤務する神官は、毎日お登りになるそうです。ご記憶ですか?花組版「婦系図」で波多屋(=原川浩明)が「十七曲がりを権現さして上へ上へと歩み行く」と語ってましたね。
2006年、50年に一度の塗り替えが済んで間も無くですから、装飾がキレイ!日光のそれに比べると随分小規模ですが、19年早く造られてますんで、その価値もあろうと言うものです。2010年、国宝指定を受けています。
敵の襲来に備えてか、拝殿や神廟へ向かう石段の蹴上げが随分高くて、お年寄りには難儀。
「(婦系図)ト音に聞こえた『勘助(勘介)井戸』を左に、右に豆腐を削ったような絶壁に臨む、物見の松の許なる声の主は、早瀬主税」。
鏡花名文のイメージに比べると、多少殺風景な空間にポツンと、件の井戸。海側の絶壁は、高所恐怖症の自分には覗くのすら憚られる
。
今日(7日/日)は雲にスッポリ隠れてましたが、冬間に富士山の絶景が見えるスポット(日本平)へ。様々なアジサイが咲き誇ってました。そろそろ、暑さに口数が少なくなる。
大野社長は千穐楽の舞台があるので、花組の弥次喜多は自由行動。静岡名物らしいとろろ汁定食で腹拵えして、主税が、肺を患い尾羽打ち枯らした貞造に遭遇した浅間神社へ。境内には七社あり、中に「少彦名(すくなひこな)神社」が芸道の神様だそうで、特に念入りにお参りしました。
えゝい、ままよ!と駿府城へも。内堀は殆ど、外堀の一部も埋め立てられてますが、中堀は残ってます。建物は一切合財無くなってて、「巽(たつみ)櫓」が1989年(平成元年)に復元され、今「坤(ひつじさる)櫓」が復元工事中(2014年/平成26年3月落成予定)。
分刻みの道程、最高気温33.7度、あぢがった~。静岡駅前の居酒屋「ちゃっきりや(午後3時開て~ん!)」でグビ~ッ!帰京の新幹線でも弥次喜多は飲んで食って。もう静岡に満腹な2日間でありました。
うわ~!懐かしい画像ばかり~!!
公演のため約一ケ月の合宿生活で、座長の演出(ちょっとだけ出演もされた)日本平での公演「ジャンヌ・ダルク」を母を誘って拝見し、翌日、静岡泊ホテル近くの神社での骨董市で、母の見立ての大島紬や茶器・花器を購入後、観光バスやら観光船で楽しんできました。美保の松原では、ガイドさんの教えてくれた「幸せの石」を拾っり・・・。勿論、久能山へも。
そして、確か名物?「赤米」を買った記憶があります。
日本平「ジャンヌ・ダルク」観劇が切っ掛けで、その後、
清水港開港100周年記念公演「忠臣蔵」座長演ずる大石内蔵助を、やはり母を誘って今度はドライブがてら車を走らせ、翌日、魚市場でお寿司を食べたり鮮魚を買って帰途に着きました。本当に楽しかったです。
もう随分と年数が経ちましたね。
「ジャンヌ・ダルク」は民謡ミュージカルでした。清水港の忠臣蔵」稽古大変だったという記憶ばかりが…。久能山東照宮参拝、念願叶いました。