芝浜の革財布/結城座(ネタばれ)

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伝統糸あやつりの本道を垣間見た印象です。演出も兼ねる西川右近氏の脚本が、原典を大切に、それでいて今風なクスグリを入れているのが、非古典派の落語家のそれで、言わば正統な感じ。

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羽織の扱い、裾捌き、袂のこなし、首や腰の動き、全てが伝統に基づいた「芸」。若い遣い手も増え目出度い。お家芸「櫓のお七」「獅子舞」をさり気無く劇中に挿入する配慮も、初春らしく好もしい。


膨大な台詞と段取りをこなす結城のご兄妹、お元気なのが何よりです。


コメント(3)

ご観覧頂きましてありがとうございます。

日本舞踊は専門ですが、芝居としては素人同然の脚本と演出ですので、どのようなものができあがるか心配して作りました。

ただ40年以上の付き合いになりますので雪斎先生や素京先生の持っておられた、江戸糸あやつりの芝居の雰囲気をできるだけ伝えることができればと思い、劇中に古典を入れました。

初日は出演者も少し硬くなり、笑いもなかなか思うように起きてきませんでしたが、昨日三日目ようやく本来の初日が出たような感じがいたします。

またご覧なったご感想などご批評いただければ幸いです。私のメールに直接ご意見をお聞かせください。

西川右近

江戸糸あやつり人形結城座公演   2013年1月27日(日)   14:00開演

「座・高円寺2」において、25~29日迄の5公演です。本日と29日には「人形解説」が
付きました。この「座・高円寺2」は小振りながらも後方の観客席からでも舞台をシッカりと観ることが出来、音響効果が良いように感じられます。
ご存じ結城座は、1635年の江戸の時代の初代・孫三郎から現在の12代目まで、時代の
荒波を掻い潜り、伝統の技を今につなぐ人形劇団です。久しぶりの古典公演は「芝浜の革財布」です。幕末の落語家・三遊亭圓朝作とされる「酔払い」・「芝浜」・「財布」の三題噺を下敷きにした人情噺の江戸糸あやつり人形劇です。(解説文より)そして落語「芝浜」は、歳末の大ネタとして、桂 三木助師匠をはじめ各氏の競演を歴史が留めています。(昭和29年12月の高座をYouTube で拝聴できます^^。)
 主な配役:
  落語家・真子之助/政五郎女房・おかつ  結城孫三郎
魚屋・政五郎   結城千恵  長屋の女将・お判  平井 航 
東西東西^^となる舞台正先には寄席の高座を設えて、後ろには金屏風で新春公演を醸し出しています。また、脚本・演出を日本舞踊西川流家元の右近氏が手掛けられていますからか、和服姿の社中の方々が陣取っていました^^。そして、両翼の提灯飾りも情趣を演出し、出囃子のバックサウンドが軽妙に響く中、黒子がギターを持って、能・歌舞伎の「きざはし」を下り、生演奏の平野 融氏(プログラムによりますと、荒井由実のバッキングメンバーとして在学中より活動開始・・、現在はサンバグループ「B・J・R」を主宰)に手渡しますと、舞台に上り、演奏を開始です。
(第一場 寄席の高座)その音取りにあわせて、噺家・「真子之助」(孫三郎)が高座に上りマクラを述べて行きます。さて、本題に入る前に羽織を脱ぎますが、それを操っての見事な脱ぎっぷりに、思わず拍手が沸き起こります。和気あいあいに牽きつけて行く手法は、嬉しい限りです。
(第二場 政五郎の家)・・プログラムの「あらすじ」では政五郎の妻を「おたつ」と表記しつも、配役では「おかつ」と。台詞では「おかつ」でした^^。(迂闊なことで・・と洒落ますか。) 金屏風が取り払われ、照明が落されますと、舞台は、裏長屋の侘び住いと替わっています。大した調度品も無い部屋ですが、商売をしている気骨か一応神棚をおいています。飲んだくれの政五郎は、深安酒に煎餅蒲団の中から起き出す気配も見せません。が、暮れも押し迫った中で、「ちょいとお前さん、起きておくれよ!暮れだと言うのに、釜の蓋があかないよ」と女房にせっつかされ、「釜の蓋があきゃなきゃ、鍋のふたでもあければいい」との反骨心も見せながらも、飯台を肩に渋々魚河岸に出かけて行くのでした。珍妙な夫婦のやりとりも、肯なるかなの流れです。玄関明障子の開け閉めも、スムーズに。一人糸操り人形の遣いで、難しいのは、足捌きでしょうか。男役人形には足がありますが、女役人形には足がありませんし、胴板ではなく提灯の胴のように竹籠仕様なので、着物の裾捌きの動きで表現しているようです。足のある男役でも、歩くと言うより、少しガニ股風になって、宙吊り風にならないことは、至難の業でしょうか。そこに、台詞が入りますので、遣い手は、自らの動きや感情を操る手に託す調和が求められます。この点、人形浄瑠璃文楽とは大きな隔たりがあります。元々は、説教節や義大夫節でやっていた様式を、多種多芸な九代目が「人形遣いに台詞を言わせる」表現形式に舵を取ったことが、ターニングポイントであったとの解説です。その結果が、古典から現代までをも網羅できる奥行きが出来たのでしょうか。アドリブも当世風に取り入れても違和感を与えない作劇術になっているようです。あらすじは、サイトにお任せし、簡単に綴って行きます。
(第三場 芝浜)舞台は、廻り舞台となっていまして、裏長屋から芝浜にブゥウーンとシーンが変ります。魚河岸に出向いたまでは良いものの、刻の時間が早過ぎて、人気は無いのです。浜に出て見れば、漁師舟の蔭から、何やらこぎたない革財布を見つけるのです。砂でも入って重いのだろうと疑心に開ければ、2分銀がザクザク!に、吃驚の様。急ぎ戻った亭主は、水をくれと一息を納めます。刻限を間違って追い出した腹いせで、水でもぶっかけられ叱られるものとうろたえる女房に、革財布を示し中の銀をばらまき、「ちゅうちゅたこかいな」の計算もあたふとと、計40両にもなる降ってわいた大金ではありませんか! 女房は、さては泥棒でも・・と勘繰ったり、落とし主が居るのではと・・人気を危ぶみ右往左往です。浜で拾った財布の持ち主がタコやイカではあるまいし・・と、政五郎は意気揚々と、神棚に隠しておけとばかりに、手ぬぐいを肩にかけ陽々と風呂屋に向かうのです。気をもんでいる時に、長屋の女将・お半が訪ねてきます。革財布の件を相談し、政五郎に罪が届かない様に、そのまま委ねて「お役所に届ける」謀をするのです。この場での大金を前にした夫婦間の感情の流れや、お半役の平井 航氏の口跡は、玉三郎丈並に味があり、世話物の女将を納得させるレベルです^^。
(第四場 元の政五郎の住い)長屋の連中が4人も、政五郎の命によって、訪ねてきます。また、借財を要求されるのでは・・、しかし言いつけを守らないと痛い目に逢うのでは・・との不安も残るのですが、否応なくと覚悟を決めてのお訪ねです。さっぱりと汗を流して戻った政五郎の元には、お酒・豆腐・蕎麦・なんと魚屋に魚までも、配達され、極めつけは三浦屋の衣装がアルマーニのブランド品というオチまで付いて来ます!道すがらの店と言う店に声をかけたと言うので、新しい神棚や仏壇までも届く始末に、女房はおろおろするだけです。政五郎は、貧乏面するなと、酒を飲み交し大宴会に盛り上がってきます。余興には、AKB48の「♪君に^^」まで飛びだします。そんなシーンでもシッカリと義太夫節との関わりを、「伊達娘恋緋鹿子」火の見櫓の段で八百屋お七の梯子を登るシーンをソツなく取り入れて、伝統芸能の片鱗を示しました。また、「めざし」(魚の目刺しのように1本の棒のような手板を遣う)という人形で、3人が同じような手足の動きや姿勢を取る操りにも感心しました。
 これでもかと飲んで正気を失くしては、寝入った政五郎の姿を見て、長屋の連中もこれまで・と帰って行くのです。途中で目を覚ました政五郎は「長屋の連中はどうした?」と聞くも、誰一人残ってはいません。残っているのは注文した品々に、大宴会の後の祭りです。この支払をどう始末をするのか「目出度いことでもあったのかい?」と詰問する女房に、政五郎は、拾った大金があるだろうと憮然として、神棚を覗きますが、アラ、不思議跡かたもありません!革の財布を拾ったのは、夢だったと、ただ、長屋の連中を引っ張って来て飲み食いしたことは、こんなに徳利が転がっているのだから現実だと言いくるめられた政五郎は、(芝浜で聴いた鐘を思い出し)「一寸待て。増上寺の鐘は何処で聞いたんだ」、「ここでも聞こえるよ。今鳴っているのがそうだろ」の諍いの中に、増上寺の鐘が響くのです。言いくるめる側の女房と、くるめられる政五郎の呼吸が阿吽の呼吸で、見ごたえがありました。
(大量に注文した品々の支払いは、何としようと案ずるに)「仕事に行っておくれよ」の声に退路を断たれる政五郎でありました・・。

 休憩15分は、ソフトバンク白戸家に出てくる犬が、ゴロリと体を横たえて休みました。

(第六場 高座)元々腕は良いのだが、酒に溺れることで、裏長屋住いを余儀なくされていたのですが、夢の財布に期待して、大量購入の支払いに窮した政五郎は、酒を断ち頑張るうちに、客も付き裏長屋から表通りの店を構えるまでになったのです・と、講釈。
(第七場 3年後の大晦日 「魚政」の店)それこそ一生懸命に働いた夫婦は店を構えて、手代もおけるようになりました。店先を掃除する様も、見馴れた風景です。店内も小ざっぱりと整理されて清潔感が漂います。頃は大晦日ヲ迎える日となりました。一仕事を終えた政五郎に、歳忘れの早風呂を勧めて送り出します。また、手代にも早風呂を勧め「お疲れさんと、声をかけて旦那様の背中を流すんだよ^^」と送りだします。女房一人になった頃合いに、元の長屋の女将が訪ねてくるのです。お歳暮に、立派な鯛を戴いてお礼にとの口実で出むいてきたのですが、本音は3年前に預かった革の財布を返しに来たのです。お役所に届けたものの、持ち主が現れず、拾い主に払い戻されたのだから・・でした。当時は、この大金の所為で、罪を背負う憂き目になるもやしれぬと、政五郎には、「夢でも見た、おめでたい人だね!」と嘘を付き通し、ず^^と後ろめたい気持ちを持っていたとポソリです。そんな有様の中に、歳末の風呂屋はひどく込み合って、ゆっくりしてもいられず帰ってきたのです。女将を見ては、「長屋の家賃を払う事もないはずだが・・」と江戸っ子らしい言い廻しでしょうか、やんわりと「立派な鯛を届けてくれたお礼に・・」と言葉を掛け、「魚政」の店先を後にするのでした。店も明るくなったのは、障子を張り替えた故、畳も新調したので、ご機嫌な様子です。「行く所がないので、お願いだから去り状だけは勘弁して・・」と、政五郎に真実を告げるのです。それからの情景仕種、特におかつ・孫三郎の語り口は、「新派公演」を観ているような味わいが滲み出て、涙を誘うのです。戻ってきた革財布を見せ、今迄の子細を謝ります。怒りに震える政五郎ですが、生演奏者・平野氏の足が、政五郎の股間を後ろからひっかける具合で、押し留めます。水を一杯と所望する政五郎に、断っていたお酒を出します。が、「また、夢じゃいけねいや!」と断るのですが、顔を抓ったら痛いので現実だと悟ります。目出度し、楽しくもホロリとさせられた舞台も終わりに近づいて来ました。 最後の見せ場は、今では少ない獅子舞いの妙技を鮮やかに披露して下さいました。そして、獅子の中から顔を出したのは、何と真子之助ご本人という粋な演出でした!
 私は、舞台から降り観客席後方へ通り抜ける孫三郎氏と握手していました!【終了15:50】

次回は、6月に三島由紀夫の「近代能楽集」から「邯鄲」「葵上」との予告に期待が膨らみます^^。この結城座公演は、高座で語る噺家の内容を、3D絵画仕立ての紙芝居を彷彿させ、レベルの高さを証明しておいでです^^。

西川右近様、ご丁寧にコメントを頂戴し有難うございました。40年のあうんが、過不足のない舞台を創り上げているように感じました。

「ノビル君」様、古典をご存知の上での、細かなご感想、結城座の皆様が、ここをご覧になったらお喜びになるでしょう。次回の三島も楽しみですね。

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