獅子虎傳阿吽堂/世田谷パブリックシアター

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「ししとらでんあうんどう」

芸術監督で「あられる(三響会さんのご挨拶文にそうあった)」野村萬斎氏の企画公演の7年目。初めて監督自らご出演の今宵、正直、お目当ては、三響会版「二人三番叟」。

能や日本舞踊といった、流派は違うが同一のジャンルでの「立会い(同じ空間で同時に勤める)」はあるが、他ジャンル(能狂言と歌舞伎舞踊)というのは、例が少ない。過去には、例えば「安宅」と「勧進帳」、「一角仙人」と「鳴神」等を、休憩挟んで競演という形はあった。つまりあくまでも別物として上演した。

「三響会」というは、能の大鼓方の父と、歌舞伎長唄囃子方の母の間に生まれた三兄弟。長男は能へ、次男三男は歌舞伎へ。長唄のお囃子連中は、お能のお稽古もするんですね。京舞の井上流が、能のシテ方を勉強する例もある。同じお稽古場で、汗を流している若い男女が結ばれちゃう。この三兄弟が異ジャンルコラボの、まさに愛の結晶!

どうしても世間話に終始してしまう「レクチャー(三兄弟と萬斎、染五郎)」が微笑ましい。

眼目の「二人三番叟」。三兄弟の大小が、それぞれ能と歌舞伎を行き来しつつ、双方を橋渡しする構成。萬斎氏は大小鼓と笛で、染五郎氏は長唄と囃子(笛が、能と長唄、それぞれ担当がお二人)で、交互に「揉之段」。藤間勘十郎氏の振付が、随分お能寄りになっている。「鈴之段」が圧巻。大小鼓&笛で始まり、それに三味線が加わり、最後は唄も入り、上手半分(染五郎)と下手半分(萬斎)で完全に立会い状態になる。

レクチャーでの能と歌舞伎の様々な違い表明で、そもそも武士と町人の社会的な違いが、その根源なんだと痛感。表現を精神的な作法に高めた武家、表現を娯楽として楽しんだ町衆。萬斎氏も染五郎氏も、今宵限り「一期一会」の緊張感溢れる表現をしてくれました。

劇場付き芸術監督様々あれど、日本の公立劇場として、隔絶してしまっている古典と現代を繋げ得る唯一が、萬斎氏です。ほんとは「唯一」じゃいけないんだけどな…。