「恐怖時代」との出会い

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初認識は、昭和51年(1976年)6月新橋演舞場での上演記事(見てはいない)。新聞か雑誌で、梅野役の沢村田之助丈が、血糊が眼に入って、毎日痛いと発言していて、その後見た舞台写真の血糊三昧(武智鉄二氏演出)に、高校生の自分は興味津々だっだが、文豪谷崎潤一郎の原文を読もうとまでは行かなかった。

暫く記憶の彼方にあった「恐怖時代」が、再び生々しく現れたのは、昭和56年(1981年)8月26日、たった1日だけ、旧歌舞伎座の大舞台だった。戦後初めて、この「レーゼドラマ(上演を想定していない戯曲)」を演出した(1951年、当時は監督と表記されていた)武智鉄二氏が、自身の古希記念として企画した特別公演だった。


kyofu5[1] - コピー.jpg日芸で演劇三昧だった身には、情報も得られず、しかも1日限り、これも見逃しているのだが、ともかく贅沢極まりない配役で、お銀の方に六世歌右衛門、梅野(玄沢と二役)に五世富十郎、太守に十三世仁左衛門、そして伊織之介は、30年前と同じ坂田藤十郎(当時は扇雀)。1951年の舞台を見た作者谷崎が、扇雀の伊織之介を「理想的!」と絶賛したと言う。


その際も、ふんだんに血糊を使用し、最前列のご見物には、血糊除けのビニールが配布された。何より、大の贔屓である大成駒のお銀の方が、好評で、「貴方が出てくれなければ、この企画公演はやらない」と懇願した武智氏に、大成駒が存分に応えた訳だ。


魅力的だが、なかなかハードルの高い「恐怖時代」を、本気でやろうと思い出すのは、それから26年後。


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