梅津貴昶さん

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梅津流三十周年記念の会を歌舞伎座にて拝見。

中村屋二代で上演されている「雨乞狐」、家元梅津貴昶(たかあき)氏が、前名(尾上恵之助)時代のリサイタルで初演した作品。お流派が30年だから、その以前だね。僕、中間役で役者衆と並び、文楽座生演奏!で踊ってました。国立劇場の花道、重い大名駕籠を担いで、檜の所作板が滑りそうで怖かった。

創流なさって直ぐの歌舞伎座リサイタル(昭和60年=1985)。現在では、歌舞伎舞踊の大曲を、素面の袴姿で踊るのはチョクチョク行われるようになったが、当時、あの「京鹿子娘道成寺」を、梨園の殿堂で「素」で踊るという企画が、内外に物議を醸した。

ようやく大成駒(六世歌右衛門)のお許しを得て、型通り五段の乱拍子を踏む時、満員の歌舞伎座の緊張感は半端でなかった。まさに手に汗握る状態だった。

「加納さん、お入んなさい」旧歌舞伎座楽屋一階の左隅、大成駒専用の部屋へ、梅津さんが招いてくれた。勿論、僕の大成駒贔屓をご存じだったからだ。この部屋の使用も、大成駒が激励の意味も込め、梅津氏に許可をしたもの。

「ほら、欄間をご覧なさい」白木の欄間に桜の絵が描かれていた。大成駒直筆…。

色んな思い出に包まれながら、「保名」から「うかれ坊主」を、転換などの繋ぎなしに、黒紋付きのまま踊る、梅津氏の変わらぬ挑戦を見つめていた。

二つ目の「雪」。しなやかなのに凛とした舞振りに引き込まれ、15分がものの数分に感じた。「~捨てた憂世の山葛」最後の詞章に差し掛かった時、え、もう終わるの?もっと見ていたい…。嬉しい感覚だった。

梅津さん、おめでとうございます。


コメント(2)

加納さん
歌舞伎座ではいらっしゃるとは思っておらず驚いてついついお引き止めして失礼しました。
梅津貴昶の会、30年の記念の会なのにゲストなしで、先生、ずいぶん地味になさるんだな、と開演前は思っていたのですが、保名/浮かれ坊主が終わって大反省しました。これぞ梅津貴昶の世界、でしたね。
雪に至ってはあの歌舞伎座がまるでひとつの座敷のような、緊密な空間になっていて、15分があっという間にも長くも感じました。
ずっと見ていたかった。

そして、私は加納さんの雪がまた見とうございます。
お待ちしております。

こちらこそ、話し込んでしまい失礼しました。思い出が溢れてしまって(笑)。

終演後、楽屋へご挨拶に伺ったのですが、「若くなったんじゃない?」と言われ、何だか嬉しいやら恥ずかしいやら…。当時と変わらない、ふくよかな優しさたっぷりなお家元でした。

「雪」、あれを見ちゃうと、おろそかには…。

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