早瀬の遺書/座長

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やまと新聞に連載(明治40年1月~4月)した時は無かった「早瀬の遺書」が、初めて単行本で出版された折に、終末に付記されました。


実は、早瀬主税が復讐の矛先を向けた「河野家」は、浜松に実在した医師がモデルらしく、その差し合いからか、不貞だらけと見えた一族は、主税の作り話だったとする、腰砕けなどんでん返しが設けられたのでした。


DVC00931.jpgが、その後、春陽堂から出版された「泉鏡花集」では、「二十一行(遺書の部分)抹消。前編後編を通じその意味にて御覧を願う」という後書きを、鏡花自ら添えて、再び「河野家」のスキャンダルが暴かれる格好になりました。


勿論、鏡花の意志のまま、遺書は無かったものとして脚色しております。
桜の若葉を眺めつつ。