ミュージカル『平家蟹』公演パンフレット連動企画として、脚本・演出の加納幸和に作品についてインタビューしました!この記事は、前半を当ページにて、“スペシャル濃縮版”を本公演物販にて販売されるパンフレットに掲載しています。

――昨年秋にスタートした新シリーズ「花組ペルメル」の『長崎蝗駆經(ながさきむしおいきょう)』から、新作、しかもミュージカルが生まれました。
加納 歌あり踊りありの歌舞伎ですが、遡ると役者が楽器の演奏をしたり歌ったりすることもあったそうなんです。それが次第に演奏と歌だけの専門家へと分業が進み、今の形になっていったとか。それを考えると私たちがミュージカルをやることに、さほど不思議はありませんし、『長崎~』の発想のもとには岡本綺堂による新歌舞伎『平家蟹』があり、近年歌舞伎で上演される機会があまりないこともあって、「では、今『平家蟹』をどう上演すれば面白いか」を考えて、ミュージカル化に行き着きました。
――劇団内での反響はいかがでしたか?
加納 次回演目は座内でも共有していましたが、ミュージカルであるということは『長崎~』の公演初日、終演後のお客様へのご挨拶でいきなり発表したので、楽屋では悲鳴が上がっていたそうです(笑)。
私が実際に『平家蟹』を観たのは1979年、新橋演舞場建て替え前のさよなら公演でしたか、七代目中村芝翫さんが玉虫を演じられた時の舞台。まだ学生の頃です。幻想的かつ不気味な、人間の恨みつらみが満ち満ちた面白い芝居だと思った記憶があります。
――そうして生まれたミュージカル版『平家蟹』は、歌詞を読んだだけで耳なじみの良さが感じられ、わくわくしました。
加納 戯曲のページ数的には、花組芝居史上最も少ないのですが、歌が入ることで心地良い躍動感がそこには生じるはず。歌詞は基本七五調、あるいは五七に整えて書いたことで耳になじむものになったのだと思います。
綺堂のお父さんは九代目市川團十郎と交友があった趣味人。だから綺堂も幼い頃から歌舞伎を観ていた。しかも17歳で新聞社に就職し、劇評を書き始めているので観劇する頻度も多く、そこからの蓄積を潤沢に身の内に持っていたのでしょう。明治期の、歌舞伎が変化していく様もリアルに体験していたはずで、そういう豊かな歌舞伎体験が、『平家蟹』のようなわかりやすく、面白い作品を生み出す下地になったように思います。

――チラシの宣伝ビジュアル、金髪・茶髪のカツラなども交えたポップなこしらえも目を引きます。
加納 最近、2.5次元ミュージカルに出演させていただく機会があったのですが、そこでの〝なんでもアリ〟精神には大いに刺激を受けました。髪や目の色など、ヘアメイクの飛躍の大きさ、衣裳のアレンジは本来の歴史劇の時代考証などからは解き放たれたものでしたので。劇団を始めたばかりの頃は、私自身の歌舞伎オタク度が高く(笑)、「自分でアノ役を演りたい!」的な発想から上演することも多かったのですが、今は作品と距離を取って客観的に向き合い、現行歌舞伎とはまた違う視点で作品の魅力を発見することが前提になっています。そこに2.5次元作品からの刺激と、ミュージカルという飛躍の大きさを許容する器も相まって、いつも以上に発想を楽に楽しく広げられたと感じています。金髪は、花組作品でもそうあるものではないですから(笑)。
「ニュー歌舞伎」ともいうべき、小劇場劇団で歌舞伎を題材にする集団は他にもありますが、花組芝居の場合は衣裳など本家本元になるべく忠実に創作したいという想いがあるため、歌舞伎俳優の身体性に自ずと向き合うことになったのが独自の部分。結果的に歌舞伎的演出、手法ともつかず離れずここまでやって来たのが、良いことだったと改めて思います。
もう一つ、劇団員たちも経験を重ねる中で歌舞伎の模写に留まらず、〝このシーンでこういう感情を持っているから役はこういう身体、こういう動きになるのだ〟という、芯の部分を巧みにつかまえられるようになってきて。結果、その芯を自身の、現代劇の俳優の身体と動きに変換し、そこから花組芝居でしかできない歌舞伎の表現が確立できるようになった。そのことが今作でも、大いに活用できると考えています。
インタビュー記事の“スペシャル濃縮版”は、2025年6月5日〜11日下北沢小劇場B1で上演される次回作、花組ヌーベル ミュージカル『平家蟹』公演パンフレットをご覧ください!
