2017年1月アーカイブ

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萩原晃

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2年振りに大親友と会い、昔通りにふざけ合ってからものの何時間で、妻を失い自らも命を絶つ、という急転直下。何と言う無慈悲なドラマであろうか。

2013年の夏、水下から末期ガンを告白されて半年後、これも急転直下だった。会う度に痩せて行ったので、覚悟はしていたつもりだったけれど、一週間前まで自分が演出する稽古場へ姿を見せていたのだ。今も残る彼のブログの最後は「1月17日」…。

水やんの当り役。伯爵家の三男坊、それまで知的な二枚目が勤めるのが普通だった。有川博しかり、加藤剛しかり、の所を、文武両道の西欧貴族のイメージを武蔵屋に重ね、衣裳もまさに野良仕事!

2009年の際は、那河岸屋(なにがしや=小林大介)をダブルキャストに起用した。本人の申し出もあり、稽古時間外の個人レッスンも連日行った。あれから8年、水下追悼の舞台で、彼の当り役を勤める重圧をハネ退け、立派にやり終えてくれた。

初日(20日)カーテンコールの挨拶で、不覚にも出そうになる涙を飲み込んだが、3年目、そして30周年の1月24日当夜、不思議に泣けなかった。千穐楽を無事終え、いつになく虚無的な感覚に襲われているのも、思いっ切り泣かなかったせいかしらん?

花組芝居は今年、三十周年を迎えました。これもご贔屓皆々様の長年のご愛顧の賜物と、心より御礼申し上げます。

旗揚げ当時は小劇場ブーム真っ盛り!座長27歳という遅咲き劇団としては、一時の浮かれ拍子でなく、長く生き残る為に、誰も真似の出来ない路線を、と掲げた「ネオかぶき」。

地固めの10年は、色々な苦難がありましたが、花組芝居という場も捨てず、苦労も厭わず、ついて来てくれた座員達に助けられました。

既にバブルの弾けた、次の10年は、ダンス中心の作品や、翻訳劇など、実験と挑戦の連続でした。この時期の試みが、後々の創作に厚味を加えてくれています。

そして30年へのカウントダウン。親子程離れた若手達が力を付け、オジさん達の味も濃くなりました。座内のユニット公演や別団体の結成など、座員達が活動の幅を広げる中、「ぼろぼん企画」を主宰していた、旗揚げメンバー水下きよしの死去は痛恨でしたが、30年の間に培った人材が、花組芝居を豊かにしてくれています。

30年の感謝を、この1年に籠めたいと思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。

モグラ/桟敷童子

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かねがね評判を聞いていたが、ようやく東憲司氏の世界を拝見した。

出演者達が表方も兼ねている。客席は窮屈だが、斜度が高いので良く見渡せる。

軍の機密作戦が入口で、次第に泥臭い民俗色が強くなり、果ては振り落としで真っ白な月が出現!噂に名高い大仕掛けもあり、で、この懐かしさは、かつてのアングラへのオマージュか?

松本紀保丈が、皇后から一転、地を這う巫女を演じる。

染五郎君の姉であり、旦那は川原和久君で、ほさかよう君の「空想組曲」でいきなり共演(こっちは日替りゲストだったけどね)しちゃう!という、僕とは因縁浅からぬ存在。ま、彼女のお誘いもあっての桟敷童子だったのだが、頼もしい劇団力を見せて貰った。

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