時を超えて交感・感応する鏡花と座長~美々しき劇世界
上空からうねりつつ垂れ下がる綱の類。上手前から舞台中央奥へ、斜めにかけられた薄く透ける定式幕が、舞台奥の妖しい気配を増幅させる。無人の舞台に遠く近く響くは、下座の調べ。
泉鏡花の幻想世界、その舞台化は加納幸和と劇団花組芝居にとって十八番とも、ライフワークともいうべきものであろう。しかも、このたびの出し物は、アバンギャルドな作風で一世を風靡した鈴木清順監督が映画化したことでも知られる『陽炎座』で、本家歌舞伎と同様に義太夫と黒御簾音楽生演奏での上演! そう聞いてそそられぬ者は、花組ファンはおろか、舞台好きを名乗る資格なしと言いたくもなる、個人的には。
そんな期待とともに足を運んだ博品館劇場。客席に踏み入った瞬間、異界の風が吹いたかと錯覚したのは、冒頭のごとき粋な舞台上のしつらえゆえ。そうして始まった本編が、美麗な言葉あふるる鏡花文学の立体化では収まらず、POPでキッチュなアクセントが随所に施されているのが本作のツボ。自由な風体の男一人に品の良い男女一組、朽ちかけた芝居小屋に迷い込んだ三人と観客を引き込むのは、義太夫、長唄、囃子方をバンドのライヴがごときテンションで紹介する狂言方の口上なのだ! 登場した陽炎座バンドの面々が、常の和装にプラスしたキラキラしい装いもまたハレの気分を盛り上げる。
現世の客は神楽の狂言方・松崎春(しゅん)狐(こ)と、会社勤務の笹山凛太郎に匂やかな美女・桐生品子の二人連れ。迎える一座の俳優たちは片岡牛鍋、澤村さしみ、市村しる粉に嵐お萩、尾上天麩羅など何故か美味しそうな名前ぞろいで、みな妖かしの役回り。牛鍋らが演じる化けた狐、狸、猫が迷子探しをするところから劇中劇が転がり出す。
探されている迷子は界隈で評判の器量よし、19歳の娘・お稲(いな)。長患いの末に行方知れずになったとされるお稲に、凛太郎と品子は何故か心当たりがあるような。語られるのはお稲と法学士・晃輔の淡い恋と、それを引き裂く浅ましい肉親の事情。後れて登場した雪女が謎解き役を引き継ぎ、春狐も己の聞き知る話と思い至る。
書籍はもちろん、青空文庫でも読むことができる鏡花の原作小説は、文字を通して色彩が感じられるほど美々しく風景・情景から登場人物たちの胸の内までの描写があふれ、読みなれない方には過剰と言われても仕方ないところ。そこを、もとの言葉の美しさ、調子の好ましさを生かしながら現代人の耳と頭に心地よい台詞へと、ギュッと凝縮した加納の筆の冴えは流石としか言いようがない。さらに、一瞬一瞬の役者の呼吸を汲みつつ芝居を盛り立てる義太夫、長唄、囃子のハーモニーが加わるという、贅沢極まりない芝居の時間は、目に見えても触れられぬ陽炎に身を包まれ翻弄されるかごときの快楽。あっという間に終幕まで運ばれるのは言うまでもないが、格別にふるっていたのが終幕の趣向だ。
詳細は、劇世界に仕組まれた謎を明かすことになるので割愛させていただくが、お稲と雪女に劇中劇の外にいたはずの品子が、命のあるなし、彼岸と此岸の境を吹き飛ばして加勢。世の理を覆し、人間社会が営々と女性に働き続ける無礼を糾弾、報復するのだ。これを目の当たりにした春狐は、新作狂言誕生の快哉を上げる。この痛快さ‼
加納が原作と鏡花の世界観を深く理解し咀嚼したうえで、新たに導き出した終景は、花組芝居の鏡花歌舞伎『陽炎座』でしか体験できぬもの。公演も配信も既に終えてはいるものの、DVDなどソフト化された際には、シスターフッドの絶対勝利を何度も、何度でも味わい直したいと考えている(なのでソフト化を是非ご検討いただきたいもの)。
その折には、上演台本を完全収録したうえに、出演者の意外(?)な素顔が垣間見える写真も充実掲載のパンフレットを副読本として脇に置くべきだ。鏡花と加納座長、二人の創造者が時を越えて感応する言葉のやりとりも、滅多に目に耳に味わわせられるものではないのだから。
尾上そら
