2021年3月アーカイブ

 いつも花組芝居をご贔屓頂きありがとうございます。
この度、堀越涼が令和3年3月31日付けにて花組芝居を退座する運びとなりました。
今までご支援いただきましたファンの皆様方や、関係者各位の皆様には心より感謝申し上げます。
 引き続き演劇活動は行って参りますので、今後とも変わらぬご愛顧の程、よろしくお願いいたします。

花組芝居

【堀越涼よりご挨拶】

花組芝居の御贔屓の皆様方へ

私、堀越涼は2021年3月末日をもちまして、花組芝居を退座する運びとなりました。
今後の演劇活動は、あやめ十八番の脚本家・演出家、俳優として続けて参ります。

これまで応援して下さった御贔屓の皆様、本当にありがとうございました。

21歳で入座して15年が経ちました。15年は長く、あっという間のことでした。
花組芝居に入った時は、まだ大学在学中で、あの頃の僕は、芝居とは何か、歌舞伎とは何か、プロとは何なのかということを、何も知らないでおりました。

僕の演劇人生は、花組芝居とともにありました。
芝居のいろはを、花組芝居で教わりました。
何も知らないおどおどした大学生だった僕が、これまで15年間、芝居を続けてこられたのは、加納座長はじめ、花組芝居座員一同の、そして何より御贔屓の皆様の応援があったからだと思っています。

28歳の時にあやめ十八番を立ち上げました。
4年前には結婚し、住まいを千葉県成田市に移しました。
現在は、演劇活動と並行して、家業であるお団子屋さんの跡取り修業をしています。
取り巻く環境が変化していくとともに、僕と演劇の関係も少しずつ変化していきました。
思い、悩み、強い感情で演劇と向き合ってきた20代が終わり、36歳、今、もっと穏やかに緩やかに演劇と付き合うことはできないだろうかと模索しています。

新しいステージに。そういう思いで、退座を申し出ました。
快く受け入れてくれた加納座長、劇団には感謝しかありません。

15年間、楽しかったです。僕はずっと笑っていました。
悲しいこともあったけれど、座員のみんなと一緒に、ずっと笑っていられました。
僕の根っこのところ、魂と呼べるような部分は、花組芝居とともにある。
勝手に、そんな風に思っています。

皆様、本当に、本当にありがとうございました。

水郷屋 堀越涼


【座長・加納幸和よりご挨拶】

 ご実家の団子屋「梅乃家」を受け継ぐべく三代目修業が始まり、堀越涼の人生は激変した。青山学院大学の学生劇団で活躍し、プロの技術を学びたいと花組芝居の門を叩き15年。2012年に演劇ユニット「あやめ十八番」を立ち上げ、今や劇作家として演出家として、急速に認められつつある。しかし現在、生活の半分は家業であり、その為に実家のある千葉県に住まいを移していて、俳優としての母体である花組芝居にこのまま居続けるには、お互い何かを犠牲にしなければならない。つまり彼の判断はすこぶる正しい。
 女形としての彼は、やってみせる型の私の演出を的確に吸収する、理想的な存在。現代演劇界での女形表現は、少しらしくなると途端にチヤホヤされ、大概、我が!我が!に陥るけれど、彼はあくまで分を弁えた存在を示してくれていた。花組芝居版「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」上演の為に、大顔合せ(初代松本白鸚の松王丸、十三代目片岡仁左衛門の源蔵、七代目中村芝翫の戸浪)の「寺子屋」の映像を座員達に見せた折、「戸浪」役だった涼が、「千代」を勤めた二代目中村鴈治郎の台詞回しを、笑っちゃう程に真似した時は仰天した。独特で面白かったから、が理由。
 最近は、外部企画への脚本提供が増えている。喜ばしい限りである。俳優堀越涼の活躍の場が一つ減るのは残念だが、「あやめ十八番」と「梅乃家」の両立を、これまで以上に成し遂げて貰いたい!そして、「堀越涼」という演劇人を育んだ花組芝居という現場のボスとして、誇りを持って送り出す次第である。

花組芝居座長 加納幸和

本日、特定記録郵便にてチケットを発送いたしました