肉豆腐in韓国

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誰が読んでるねやろ・・・

ま、ええか。暇やし。


昭和48年 5月30日生まれ。
大学を中退し、俳優の道を志す・・・
平成15年 11月某日 韓国で100人前の肉豆腐を作る。
平成17年「花組芝居」に入座。
嗚呼我が人生、一度なりけり・・・


平成15年11月。
撮影当初は7月。
いわゆる「スター」以外のオーディションで選ばれた野郎役者達は、上半身裸で真っ黒になりながら、汗と土にまみれ「撮影現場造り」をしなければならなかった。
「衣装」半分「作業着」半分の日々。
毎日が「肉体労働者」であった。
泥を掻き、整地し、家を立て、セットを組み、小道具を造り、配置、照明を仕込み、衣装に着替え、演じる。
終われば、作業着になり、全てを撤収し、次の現場へ・・・
同じ事を繰り返し、季節は早、初冬へ・・・
笑いもすれば、怒鳴りもするわ、誉めもすれば、嫌味も言うわ、酒を飲んでは喧嘩もするわ・・・
韓国の冬は恐ろしく寒い。
当時の俺らは心も寒い。
せめて、食事ぐらい・・・
暖かくって、旨いもん、なんやろか・・・
「芸」は身を助けた。
長年の一人暮らし歴の財産「一人鍋」が韓国デビューを果たしたのである。

冬の「肉体労働者」の心を満たす物・・・
豚バラ、玉葱を「飴色」になるまで炒め、水を投入。
100人前の「本だし」、砂糖、醤油でコトコトと・・・
木綿豆腐を普段のストレスの思いのままに、手でひきちぎってドーン!!!・・・
飢えていた「ジャパニーズジャンク」
「吉野某」「松某」「すき某」的な味・・・
「作り過ぎたか」
と思っていた鍋の中は底を見せた。
「おかわり」
「ごめんなさい、もう無いねん・・・」
ニンマリの「食事班」例え己の望ましい喜びとは程遠くとも、人の心を動かすとは何よりの幸せであった。

数日後、帰国。
俺は、「新宿梁山泊」の創設メンバーの前で土下座をし、「すいません、お世話になりました」退団を申し出た・・・
「それはそれ、これはこれ」であった。


次回「ペンネアラビアー・・・

辞めとこ。

とりあえず前へ・・・