いよいよ初日まであと2日!
ここで美斉津君直筆の相関図と、簡単なあらすじをご紹介します。
人間関係が少し複雑ですので、お時間のある方は予習にどうぞ☆
あらすじ
舞台は“関ヶ原の戦い”から14年後の大坂城。天下統一を果たした徳川家康は、豊臣家を滅ぼそうと方広寺の鐘銘(★1)にあった文字に難癖をつけ、三ヶ条の難題(★2)を押し付ける。交渉役として駿府へ向かった片桐且元は“淀君人質”の条件を呑む約束をして帰坂。人質の転居先を品川と定め、徳川から褒美までもらったという。実は“わざと地質の悪い品川を選び、御殿普請の準備を長引かせ、高齢の家康の死を待つ”が彼の秘策だが、先に大坂に戻った正栄尼、大蔵卿の局より人質承諾の件が漏れ、気位の高い淀君の怒りを買ってしまう。そこへ、日頃から反且元の大野道軒一派は『且元は寝返った』との噂を流し、実直な石川伊豆守を唆して城内にて暗殺を企てる。暗殺計画を知った且元は下城し、屋敷にこもる様になる。
一方、正栄尼の息子の銀之丞は且元の娘・蜻蛉に懸想しているが、許嫁のいる蜻蛉は相手にしない。息子に泣き付かれた正栄尼は、且元を助ける代わりに銀之丞と祝言をあげる様、蜻蛉にせまる。しかし、その約束も大野一派の罠だった。
且元の真意を知った伊豆守は、不忠の大野家に乗り込むが返り討ちにあい、片桐邸に逃げ込んでくる。身内間の争いは徳川に付け込まれる口実になると考えた且元は、一旦落ち延びることを決意するが、もはや徳川との対決は避けられないものとなっていた 。
★1 方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)
豊臣秀頼が再建した方広寺。その鐘銘に刻まれていた『国家安康』『君臣豊楽』の文言が、家康を呪詛して豊臣家の安泰を願う意味があるとの疑惑が持ち上がり、その弁明のため、片桐且元は秀頼の使者として家康の居る駿府城へ向かう。★2 三ヶ条の難題
其の一 秀頼が大坂城を出て、所領を別の土地に移すこと
其の二 秀頼が毎年江戸へ参勤すること
其の三 淀君を人質として江戸へ送ること