2013年12月アーカイブ
{{assign var="epp" value=20}}左・大船渡からわざわざ観に来てくれた従兄弟、二つ下の後輩でもあります。
右・サプライズで観に来てくれた中学・高校の同級生、なんでも彼のお姉様がウチを初演の「奥女中たち」から観てるお客様で、つい最近僕と自分の弟が同級生だと判明したそうです。
真ん中・感激のあまり泣いてしまった僕です。
もう5日経ってしまいましたが、遅ればせながら、公演無事終了しました。
毎回毎回超満席の客席は何事にも代え難くホント嬉しいものです。
今回御贔屓様以外にも、支援活動で知り合った方、新宿ゴールデン街で知り合った方、たくさんの人に観てもらえました。
ゴールデン街のとあるバーのママさんが阿形初日を観にきてくださったのですが、その夜にメールがきて、「もう一回観たい」と。普段あまりお芝居を観ない人をもう一度劇場に足を運ばせる・・・「怪誕 身毒丸」という作品のチカラだと思います。
お客様からいっぱいいっぱい感動をいただきました。
ありがとうございました!
あの日の午後、僕は後輩の出る舞台を見ていた。ものすごく長く揺れ、周りもざわつき、客席上の照明が落ちたら皆死ぬんだろうな、なんて考えてたら舞台監督が芝居をストップして、退出、避難。芝居が再開されることはなく、交通機関もマヒしていたので、恵比寿から明治通りをずっと歩いて新宿ゴールデン街へ。やっとの思いで店のドアを開けたけど、倒れて割れたジンのボトルの匂いに一旦ドアを閉めた。
18〜20日で参加を予定していた「日本短編舞台フェス」が公演自体中止になり、同級生が誘ってくれたので大船渡に帰るコトにした。
朝羽田で待ち合わせ秋田へ、秋田から新幹線で盛岡、盛岡から在来線で北上。北上で積めるだけの物資を買いそろえタクシーで大船渡へ向かった。山側から入り、国道45号線の左側に広がる光景に泣きながら避難所になってた母校の小学校へ行ったんだ・・・。
二年九ヶ月の間に、僕の実家から見える景色も様変わりしてきた。
これが・・・復興といえるかどうかは僕にはわからない。
でも僕はあの日の夜ココロに決めたんだ。
「一度も大船渡を出て暮らしたことのない母が生きているうちに、もう一回大船渡に街を作る」
僕はそのために動いている。僕はそのために生きている。