842 にねんきゅうかげつのおもい

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あの日の午後、僕は後輩の出る舞台を見ていた。ものすごく長く揺れ、周りもざわつき、客席上の照明が落ちたら皆死ぬんだろうな、なんて考えてたら舞台監督が芝居をストップして、退出、避難。芝居が再開されることはなく、交通機関もマヒしていたので、恵比寿から明治通りをずっと歩いて新宿ゴールデン街へ。やっとの思いで店のドアを開けたけど、倒れて割れたジンのボトルの匂いに一旦ドアを閉めた。

18〜20日で参加を予定していた「日本短編舞台フェス」が公演自体中止になり、同級生が誘ってくれたので大船渡に帰るコトにした。
朝羽田で待ち合わせ秋田へ、秋田から新幹線で盛岡、盛岡から在来線で北上。北上で積めるだけの物資を買いそろえタクシーで大船渡へ向かった。山側から入り、国道45号線の左側に広がる光景に泣きながら避難所になってた母校の小学校へ行ったんだ・・・。

二年九ヶ月の間に、僕の実家から見える景色も様変わりしてきた。
これが・・・復興といえるかどうかは僕にはわからない。
でも僕はあの日の夜ココロに決めたんだ。
「一度も大船渡を出て暮らしたことのない母が生きているうちに、もう一回大船渡に街を作る」
僕はそのために動いている。僕はそのために生きている。

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