[ 週間蹴通第226節 サッカーどころじゃない時もある。 ] 03月12日(水) |
人の生き方はそれぞれだ。 人生を語るなんて、おれには早すぎる。 でもいろいろあるよねぇ。正解なんてわからない。 でも、身の回りの「流れ」には常に敏感でいたい。 好機、悪運、人の縁、いろいろなタイミングに囲まれて、 時におぼれそうになるけれど、その流れはたぶん、 自分がしてきた選択が作っている部分が大きいと思う。 とても会いたい人となかなか会えないとか、 ずーっと欲しくて悩んでた服がタッチの差で買われちゃったとか、 そういうのは縁だ。縁がない。 そこからは、無理して今その人と会うことが本当に必要なのか?とか、 その服を欲しいと思ったときに押しとどめたものは何だったのか?とか、 物事の本質、というか、その裏にあるいろいろなものを見つめたい。 そしてここぞ!というタイミングは逃したくない。 おれはあまり宗教的な人間ではないけれど、縁、とくに人とのつながりというものは大事にしたいのです。 「観音」という言葉は、本来聴くべき音をあえて観よ、ということだそうです。 ・・・でも会いたいのに会えないってのはつらいよねぇ。 それがもうずーっと会えないようになってしまっちゃ、なおさらねぇ。 つながりを拒否するのもその人の自由。都合もあるし、不可抗力な運もある。 でもそれもその人の選択。他人がとやかく言うことではない。 でもおれにとってエネルギーの受け渡しは大事です。 それがいらないんだったら一人でいればいいんですから。ただおれには無理だなぁ!(笑) おれはそこまで人に絶望してないし、人を頼ってるし、甘えたいし、甘えられたいし・・・。 年甲斐もなく言うならば「人」が好きなんだなぁ。だから芝居が好き。 でも、みんながみんなそうじゃないんだなぁ。 それをおれは「強さ」とは言わないと思うんだけどなぁ。 あ、これは中脇のことを言ってるわけではないからね。 中脇の選択は理解するし、大変な決断だったと思う。 ただ、水臭いよな。 とりあえず、おれのできることは「夜叉ヶ池」だ。 そしてつながりがとれない人や物事を愛して、深追いしすぎないことだ。 愛しすぎることは愛されたいことの裏返し。 mail to: yashiro@hanagumi.ne.jp |