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週刊蹴通
(2003/03)


[ 週間蹴通第226節  サッカーどころじゃない時もある。  ] 03月12日(水)
人の生き方はそれぞれだ。

人生を語るなんて、おれには早すぎる。
でもいろいろあるよねぇ。正解なんてわからない。

でも、身の回りの「流れ」には常に敏感でいたい。
好機、悪運、人の縁、いろいろなタイミングに囲まれて、
時におぼれそうになるけれど、その流れはたぶん、
自分がしてきた選択が作っている部分が大きいと思う。

とても会いたい人となかなか会えないとか、
ずーっと欲しくて悩んでた服がタッチの差で買われちゃったとか、
そういうのは縁だ。縁がない。
そこからは、無理して今その人と会うことが本当に必要なのか?とか、
その服を欲しいと思ったときに押しとどめたものは何だったのか?とか、
物事の本質、というか、その裏にあるいろいろなものを見つめたい。
そしてここぞ!というタイミングは逃したくない。

おれはあまり宗教的な人間ではないけれど、縁、とくに人とのつながりというものは大事にしたいのです。

「観音」という言葉は、本来聴くべき音をあえて観よ、ということだそうです。

・・・でも会いたいのに会えないってのはつらいよねぇ。
それがもうずーっと会えないようになってしまっちゃ、なおさらねぇ。
つながりを拒否するのもその人の自由。都合もあるし、不可抗力な運もある。
でもそれもその人の選択。他人がとやかく言うことではない。

でもおれにとってエネルギーの受け渡しは大事です。
それがいらないんだったら一人でいればいいんですから。ただおれには無理だなぁ!(笑)
おれはそこまで人に絶望してないし、人を頼ってるし、甘えたいし、甘えられたいし・・・。
年甲斐もなく言うならば「人」が好きなんだなぁ。だから芝居が好き。

でも、みんながみんなそうじゃないんだなぁ。
それをおれは「強さ」とは言わないと思うんだけどなぁ。

あ、これは中脇のことを言ってるわけではないからね。

中脇の選択は理解するし、大変な決断だったと思う。
ただ、水臭いよな。

とりあえず、おれのできることは「夜叉ヶ池」だ。
そしてつながりがとれない人や物事を愛して、深追いしすぎないことだ。

愛しすぎることは愛されたいことの裏返し。


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yashiro@hanagumi.ne.jp





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