中埜 | それで、いざ始動ということで、まず斉藤さんに装置プランを出してもらったんですけど、最初はどんな感触でした? |
水下 | 最初は、図面だけだったんだけど、正直、想像しにくかったよね(笑)。でも、次第に模型などが出来て、立体的になってきて、徐々に、この装置の面白さが見えてきた。 |
中埜 | 具体的には? |
水下 | この装置は枠で出来上がっている空間だから、枠の向こうに、また枠があったりして、まず遠近感がすごく面白いんだよね。 |
中埜 | そうですね。それは僕も感じました。すごく近くに見えたり、すごく遠くに見えたり。 |
水下 | そうそう。だから、まずそれは活かそうと思った。あとは、別々の空間でそれぞれがいて、それで会話をするっていう演劇のキュビズムにしようかなと。向かい合って喋っているけど会話がずれていたり、外向きに喋っているけど会話は成り立っていたり。あとは、見えない空間をどう効果的に見せるか。 |
中埜 | 僕の場合は、最初、この装置を、仕切られた4つの空間としてとらえていたんだけど、途中からその考えをやめて、壁と床と天井だけを見るようにしたんですよ。 で、そのうちの壁とどう向き合うか? 部屋の仕切りじゃなくて壁、壁そのものがポイントじゃないかなと。それに基づいて、役者の配置なども決めていきました。 |
水下 | 僕はそれを枠にしたんだよね。枠にして、その枠の中にどう人がいるか。額縁とか窓とかに近いイメージで。そしてさらには、その枠をどう飛び越えるか? 要は、いかにこの空間で遊ぶかだよね。 |
中埜 | あと、今回は『恋愛考』という作品なので、この装置全体を人間の細胞みたいな感じで、恋愛細胞というふうにとらえました。その中のあちこちで、恋愛の分子たちが、あれこれ動いて喋ってるみたいな。 |
水下 | 今回は、斉藤さんの装置以外に、互いの作家も共通させようということで、実際使用するテキストは自由ということだったんだけど、吉田さんのテキストに、どういう風に賢治を組み合わせていった? |
中埜 | 僕は、宮沢賢治に関しては、会話じゃなくて、詩を使おうと思いました。 というのは、僕は、吉田祥二のテキストを基本に使うんですけど、賢治と吉田では、ことばづかいが全然違うし、並列的には構成できないと考えたんです。シーン展開の中の幾つかのポイントで、宮沢賢治の詩の一節を織り込んで、それで全体としての広がりを持たせようと。でも、正直、吉田の本ほど普段から馴染んでないので、やはり賢治のテキストの扱いは、難しい面もありましたね(笑)。 |
水下 | でもその分、いつもとは違う、テキストとの向き合い方はできたんじゃない? |
中埜 | 確かにそれはありますね。いつもとは違うスタイルのテキストだった分、いつもとは違う想像の膨らみ方というか、そういうのを実感しながら組み立てていく作業は面白かったですね。 |
水下 | 僕は、吉田さんが今回書き下ろした作品と、過去に書いた作品の中から、いくつか抜粋しました。最初に吉田さんの現代の会話のシーンから始まって、その人たちが、今度は宮沢賢治の世界を遊んでいくという構成。そうすると、吉田祥二の世界すらも遊んでいるのかもしれない。吉田祥二の現代のテキストと宮沢賢治のテキストを、同じレベルで遊んでいるという風にしたかった。 |
中埜 | 話のつながりとか、そのあたりは? |
水下 | その辺は、あえて意識していなくて、二つのテキストは、夢の断片の連なりのように連なって、整合性はなくていいと思ってる。そして、最終的には妙な空間になっていけばいいなと。 |
中埜 | 僕は、基本的には、吉田祥二の恋愛にまつわる会話、又は独り言で全体を構成するんですが、宮沢賢治に関して言えば、宮沢賢治の物語や詩をいくつか読んでいくと、共通するものとして、「空を指向する」というか、そういう視点があるので、今回、装置のポイントとしている垂直にある壁、天井、そしてそこから上に抜けるというイメージの広がりを、宮沢賢治の言葉で出せればいいと思います。 |