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対談
(bound)中埜コウシ×水下きよし(Borobon)

2002.07.16.渋谷某所

連日の稽古の合間を縫って、二人が会し、今回の企画の発端から創作過程でのエピソード、作品のみどころ等について、対談をおこないました。

企画の発端
水下今年の初め頃、『blanc』(bound*002 2/9〜11)を見た時に、まず、すごい装置がきれいだなって思ったんだよね。余白の多い舞台っていうか、お互い、つくり出す作品自体は全く違うんだけど、なんか通じるものというか近いものを感じて、面白いなーと思って。そうだ、「装置を一緒に使わない?」って中埜君に話を持ちかけたのが、そもそもの始まりだよね?
中埜そうですね。僕も話を受けた時、面白そうな企画だなと思いました。水下さんは僕よりも年上なんだけど、水下さんの作る作品は、空間や言葉を自由に遊んで、まるで「大人の幼稚園」という感じで、水下さんなら、boundの装置を面白く使ってくれるんじゃないかと思って。それに、いつもboundでは、具体的なセットは使わずに、あえて、匿名の場所というか、無機的な装置を使って、それにどう絡んでいくかみたいな事をやってるんですけど、それをboundだけじゃなく、他の人がやることによって、より装置とからむ面白さを新たに発見できそうな楽しみもありました。
水下最近、多くの劇団で、割とリアルにセットを組むのが主流になってて、でもboundは、そこじゃない所に向かってる面白さがあるよね。ひとつの空間が、想像力でいろんな風に見えてくる面白さ。それで僕は、こういう装置で遊んでみたいな、って純粋に思ったんだよね。
中埜最初は、bound用に作った装置をBoroBonでも使うって感じで始まったんだけど、それだとつまらないから、まず装置ありき、その上でどれだけ自由に遊べるか、っていう企画に発展していった。
水下同じリングで戦う面白さだよね。リングを一つ作って、そこに立ち昇ってくる別々のもの達がある。そこに面白さの可能性を感じたよね。


斉藤力の装置
中埜それで、いざ始動ということで、まず斉藤さんに装置プランを出してもらったんですけど、最初はどんな感触でした?
水下最初は、図面だけだったんだけど、正直、想像しにくかったよね(笑)。でも、次第に模型などが出来て、立体的になってきて、徐々に、この装置の面白さが見えてきた。
中埜具体的には?
水下この装置は枠で出来上がっている空間だから、枠の向こうに、また枠があったりして、まず遠近感がすごく面白いんだよね。
中埜そうですね。それは僕も感じました。すごく近くに見えたり、すごく遠くに見えたり。
水下そうそう。だから、まずそれは活かそうと思った。あとは、別々の空間でそれぞれがいて、それで会話をするっていう演劇のキュビズムにしようかなと。向かい合って喋っているけど会話がずれていたり、外向きに喋っているけど会話は成り立っていたり。あとは、見えない空間をどう効果的に見せるか。
中埜僕の場合は、最初、この装置を、仕切られた4つの空間としてとらえていたんだけど、途中からその考えをやめて、壁と床と天井だけを見るようにしたんですよ。
で、そのうちの壁とどう向き合うか? 部屋の仕切りじゃなくて壁、壁そのものがポイントじゃないかなと。それに基づいて、役者の配置なども決めていきました。
水下僕はそれを枠にしたんだよね。枠にして、その枠の中にどう人がいるか。額縁とか窓とかに近いイメージで。そしてさらには、その枠をどう飛び越えるか? 要は、いかにこの空間で遊ぶかだよね。
中埜あと、今回は『恋愛考』という作品なので、この装置全体を人間の細胞みたいな感じで、恋愛細胞というふうにとらえました。その中のあちこちで、恋愛の分子たちが、あれこれ動いて喋ってるみたいな。


吉田祥二のテキスト/宮沢賢治のテキスト
水下今回は、斉藤さんの装置以外に、互いの作家も共通させようということで、実際使用するテキストは自由ということだったんだけど、吉田さんのテキストに、どういう風に賢治を組み合わせていった?
中埜僕は、宮沢賢治に関しては、会話じゃなくて、詩を使おうと思いました。
というのは、僕は、吉田祥二のテキストを基本に使うんですけど、賢治と吉田では、ことばづかいが全然違うし、並列的には構成できないと考えたんです。シーン展開の中の幾つかのポイントで、宮沢賢治の詩の一節を織り込んで、それで全体としての広がりを持たせようと。でも、正直、吉田の本ほど普段から馴染んでないので、やはり賢治のテキストの扱いは、難しい面もありましたね(笑)。
水下でもその分、いつもとは違う、テキストとの向き合い方はできたんじゃない?
中埜確かにそれはありますね。いつもとは違うスタイルのテキストだった分、いつもとは違う想像の膨らみ方というか、そういうのを実感しながら組み立てていく作業は面白かったですね。
水下僕は、吉田さんが今回書き下ろした作品と、過去に書いた作品の中から、いくつか抜粋しました。最初に吉田さんの現代の会話のシーンから始まって、その人たちが、今度は宮沢賢治の世界を遊んでいくという構成。そうすると、吉田祥二の世界すらも遊んでいるのかもしれない。吉田祥二の現代のテキストと宮沢賢治のテキストを、同じレベルで遊んでいるという風にしたかった。
中埜話のつながりとか、そのあたりは?
水下その辺は、あえて意識していなくて、二つのテキストは、夢の断片の連なりのように連なって、整合性はなくていいと思ってる。そして、最終的には妙な空間になっていけばいいなと。
中埜僕は、基本的には、吉田祥二の恋愛にまつわる会話、又は独り言で全体を構成するんですが、宮沢賢治に関して言えば、宮沢賢治の物語や詩をいくつか読んでいくと、共通するものとして、「空を指向する」というか、そういう視点があるので、今回、装置のポイントとしている垂直にある壁、天井、そしてそこから上に抜けるというイメージの広がりを、宮沢賢治の言葉で出せればいいと思います。


みどころ
中埜あまり、こう観て欲しいというのはなくて、ただ、恋愛劇と言っても、普通のラブストーリーを作るのとは、ちょっと違うアプローチをしているので、そこがみどころと言えばみどころかな。
水下僕も恋愛劇をつくるつもりはなくて、これを見て恋愛を考えて、というスタンスかな。そういう感じでいいんだと思う。でもboundは、これまでで一番出演者の数が多いよね?
中埜そうですね。
水下それって単純に楽しみだな。
中埜でも、誰と誰の恋愛関係がどうなって、とかそういうのじゃないんで、関係を追っかけながら見るっていうより、流れの中で好きな瞬間をひとつでも多く見つけてもらえればうれしいですね。
水下僕はやっぱり「宮沢賢治を使って、こんなことやっていいんだ」みたいな、意外性の楽しさは追求したいね。「賢治で、こんな曲流しちゃうんだ」みたいなね。あと、宮沢賢治のテキストの、もの同士の会話と生身の人同士の会話をうまくシンクロさせて見せたいというのもある。
中埜恋愛って、ひとりの時は、ハイにもローにも、都合良く考えられるけど、実際相手と接している時は、目の前にいる相手と一発勝負で接するしかない。そのズレというか、差みたいなものを見せられればとは思いますね。
水下でも、boundのみどころは、やっぱり水下がどう出てくるかだよね?
中埜(笑)ですね。

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