1977年/座長

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坂東玉三郎丈が初めて富姫を勤めた日生劇場。あれこそ、僕が今ある活動を始める動機の大きな一つとなりました。

歌舞伎は好きだが、伝統世界で子供から修業をしていないんじゃ、到底役者になんぞなれないと思っていました。歌舞伎以外で、こんな舞台に参加したいと感じた最初でした。

冨田勲氏のシンセサイザー、高田一郎氏の真っ黒な美術。随分後にお会いして「あれ良かったです」と申し上げたら、「あれはね、黒漆に蒔絵のイメージだったんだよ」とニコニコ話して頂けました。増見利清氏の演出で、歌舞伎、新派、新劇など、混成チームでも、あの世代だから濃厚だった~。

強烈な記憶だっただけに、逆に花組で取り上げるのを躊躇していましたが、ようやく手を染める気になったのは20年後(1997年)でした。2000年に再演し、久し振りにリーディング形式で、皆様にお見せ出来るのが本当に嬉しい。しかも初めて本拠地「セーヌ・フルリ(二子玉川)」でのご披露!3回目となる伊予屋と共に、もう一度丁寧に取り組みたいと思います。二十五周年ですもの。