つぶやきの最近のブログ記事

10歳の歌舞伎ファン

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エフエム世田谷「劇ナビ」の収録中、ガラスの向こう側、調整室でニコニコと金魚鉢の中を覗き込む女子。アレ、誰だろうと思いつつ収録終了。

二人の女子中学生。「ラジオ制作の現場を見学にいらしてます。で、こちらは、こども歌舞伎スクール『寺子屋』に通ってらして、花組芝居も知ってるらしいです」え?歌舞伎はいつから?「小学五年からです」

ああ、僕も生の歌右衛門を「意識的に(見たいと自ら言った最初)」見たのが10歳だった(初歌舞伎座は3歳だけどね)。当代吉右衛門が、文化庁の巡回事業で、小学生の歌舞伎体験を既に10年以上行っているが、初心な段階で歌舞伎の楽しさを見たり聞いたりする事は、将来の歌舞伎にとって実に大切である。

頼もしく、嬉しい出会いだった。

ヒナの命

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先日の朝、事務所へ赴くと、入口横に目印のように立つ樫の根元に、灰色の物体が。ん?鳥?ヒナ?恐らくまだ飛べそうもない、ずんぐりとした体で立ちすくんでいる。おや、巣から落ちたか?

事務所番の鳴流屋が、早速巣箱らしき物を作り、根元に居たんだからと、件の樫の良き所に設置。ピーピーと抵抗を示すヒナを、フワリと中へ。その際、二親と思しき成鳥がギャーギャーと飛び交う。数時間後、様子や如何に?と周辺を行くと、再び道端にヒナが!?「落ちた!落ちた!」と騒いだが、さにあらず、先程のヒナよりは幾分しっかりした体付きの2羽目でした。さては巣ごとひっくり返されたのか?

ともかく、親鳥が来やすいようにと、鳴流屋が苦心の新しい巣箱に。後は、近くを通る際も、距離を置き、ソロリソロリと気遣う。

翌朝、ピーピーと鳴く近くを親鳥が飛び交っているので、先ずは安心と思っていたが、犬猫なら幾らか覚えがあるが、何せ、種目も判らない野鳥。静かになったな、と夕刻覗くと、悲しや、2羽共に、仰向けに硬くなっていた…。

最初に臨終を確認した鳴流屋の、「あ、ダメだ…」の声と表情が、何故か愛おしかった。

親鳥の鳴き声や形状から、どうやら都会でも良く見掛ける「ヒヨドリ」と判明。あのまま道端に放置したら、車に轢かれたろうな、1日だけ延命させたんだ、という納得だけが、実は空しく残る、梅雨前の出来事だった。

萩原晃

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2年振りに大親友と会い、昔通りにふざけ合ってからものの何時間で、妻を失い自らも命を絶つ、という急転直下。何と言う無慈悲なドラマであろうか。

2013年の夏、水下から末期ガンを告白されて半年後、これも急転直下だった。会う度に痩せて行ったので、覚悟はしていたつもりだったけれど、一週間前まで自分が演出する稽古場へ姿を見せていたのだ。今も残る彼のブログの最後は「1月17日」…。

水やんの当り役。伯爵家の三男坊、それまで知的な二枚目が勤めるのが普通だった。有川博しかり、加藤剛しかり、の所を、文武両道の西欧貴族のイメージを武蔵屋に重ね、衣裳もまさに野良仕事!

2009年の際は、那河岸屋(なにがしや=小林大介)をダブルキャストに起用した。本人の申し出もあり、稽古時間外の個人レッスンも連日行った。あれから8年、水下追悼の舞台で、彼の当り役を勤める重圧をハネ退け、立派にやり終えてくれた。

初日(20日)カーテンコールの挨拶で、不覚にも出そうになる涙を飲み込んだが、3年目、そして30周年の1月24日当夜、不思議に泣けなかった。千穐楽を無事終え、いつになく虚無的な感覚に襲われているのも、思いっ切り泣かなかったせいかしらん?

花組芝居は今年、三十周年を迎えました。これもご贔屓皆々様の長年のご愛顧の賜物と、心より御礼申し上げます。

旗揚げ当時は小劇場ブーム真っ盛り!座長27歳という遅咲き劇団としては、一時の浮かれ拍子でなく、長く生き残る為に、誰も真似の出来ない路線を、と掲げた「ネオかぶき」。

地固めの10年は、色々な苦難がありましたが、花組芝居という場も捨てず、苦労も厭わず、ついて来てくれた座員達に助けられました。

既にバブルの弾けた、次の10年は、ダンス中心の作品や、翻訳劇など、実験と挑戦の連続でした。この時期の試みが、後々の創作に厚味を加えてくれています。

そして30年へのカウントダウン。親子程離れた若手達が力を付け、オジさん達の味も濃くなりました。座内のユニット公演や別団体の結成など、座員達が活動の幅を広げる中、「ぼろぼん企画」を主宰していた、旗揚げメンバー水下きよしの死去は痛恨でしたが、30年の間に培った人材が、花組芝居を豊かにしてくれています。

30年の感謝を、この1年に籠めたいと思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。

休肝日

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風邪や声帯の使い過ぎetc.で、調子をやる(声が出なくなる)以外、飲み続けて来た?年(記憶にない…)。『桐一葉』を終えてから、何ともないのにちょくちょく科している「休肝日」。何で始めたのだろう?

そうそう、実は『毛皮のマリー』の際、風邪の為か、全く声が出なくなった。日常会話が苦しくなる程だったので慌てた。病院にも駆け込んだが、兎も角禁酒した、一週間以上…。何が驚いたって、顔付きが変わった。何処がどう、という訳でないが、明確だったのはアイホールがくっきりした事!楽屋入りして鏡に写る己れを見て、へえ~、本当はこんな顔なのね…。この反省から、(半年以上経たが)抜いて見ようかな、となった次第。

うん、アイホールもそうだが、身体が軽いね。

何を書こうとしているのかな?今、数日(~一週間)置きにノンアルのサイクル、昨夜の休肝日で今夜は飲み日!はい、飲みながらの書き込みである。ええい、核心ッ!

人間って死ぬまで心静かに過ごすなんてないんだね…。元々「心静か」ってのがどんな状態だか。「悠々自適」な時空間て、有り得るのだろうか?豊かさって…。そうだね、生きてるってのは、常に心ザワザワしながら、身心不安定なまま過ごす事なんだね。生々しく行こうぜッ!イエイッ!

水やんが亡くなってから、時の流れ方が大きく変化した、感覚だけどね。ちょっと前の物事が数年を経たように感じちゃう。人生の先が見えたという意識が、「充実したい」という、切羽詰まった実感へ、知らず知らずに導いて居るんだろうと思う。

だからこそなのか、俺、この年でギラギラしてるね、苦痛なんだか、活力なんだか、いい意味でも悪い意味でも…。芝居も人生も、歩み方、ヤッパリ下手かもね、俺、アハハハハハ!

「謝罪」

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茶髪は黒くしたけど、髪型バッチリなんだね…。

「恐怖時代」との出会い

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初認識は、昭和51年(1976年)6月新橋演舞場での上演記事(見てはいない)。新聞か雑誌で、梅野役の沢村田之助丈が、血糊が眼に入って、毎日痛いと発言していて、その後見た舞台写真の血糊三昧(武智鉄二氏演出)に、高校生の自分は興味津々だっだが、文豪谷崎潤一郎の原文を読もうとまでは行かなかった。

暫く記憶の彼方にあった「恐怖時代」が、再び生々しく現れたのは、昭和56年(1981年)8月26日、たった1日だけ、旧歌舞伎座の大舞台だった。戦後初めて、この「レーゼドラマ(上演を想定していない戯曲)」を演出した(1951年、当時は監督と表記されていた)武智鉄二氏が、自身の古希記念として企画した特別公演だった。


kyofu5[1] - コピー.jpg日芸で演劇三昧だった身には、情報も得られず、しかも1日限り、これも見逃しているのだが、ともかく贅沢極まりない配役で、お銀の方に六世歌右衛門、梅野(玄沢と二役)に五世富十郎、太守に十三世仁左衛門、そして伊織之介は、30年前と同じ坂田藤十郎(当時は扇雀)。1951年の舞台を見た作者谷崎が、扇雀の伊織之介を「理想的!」と絶賛したと言う。


その際も、ふんだんに血糊を使用し、最前列のご見物には、血糊除けのビニールが配布された。何より、大の贔屓である大成駒のお銀の方が、好評で、「貴方が出てくれなければ、この企画公演はやらない」と懇願した武智氏に、大成駒が存分に応えた訳だ。


魅力的だが、なかなかハードルの高い「恐怖時代」を、本気でやろうと思い出すのは、それから26年後。

予備選

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アメリカの本質?本音?

一人味噌汁

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ここ何年も続けていた朝食のメニューを変えた。血圧を下げようと蕎麦、しかも塩分ゼロの十割蕎麦を、薄目のツユに付け、ドロリとした蕎麦湯を残さず飲んでいた。

穀物は糖分が高いので、主食は、雑穀だらけをご飯茶碗に半分程度と拘っているのに、朝は盛大に「麺」を食して来てしまった。

蕎麦の糖質に関しては、数字が様々なようだが、100g中70gなんて情報もある。同時に最近、味噌の効能を良く耳にするようになり、思い切って宗旨変えと相なった。

温め直しを繰り返すと、河野道子さんに「辛うございますよ、これじゃ(婦系図)」とたしなめられそうなんで、一人味噌汁に挑戦!

味噌製造会社では、水10に対して味噌1を提唱しているが、100gの湯に大匙一杯の味噌(約9g)は如何にも濃い。ネットの一人味噌汁レシピだと、150gで小匙1~2が相場らしい。

そして初一人味噌汁!水250gにネギを多めに煮て、大匙1未満の味噌を溶いてみた。ネギの甘味で誤魔化ているが、自分には濃いようだ。明日はもう少し薄くしよう。メインは雑穀だらけご飯半茶碗と、納豆。

新しい食生活が始まった。

いい仕事

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テレビ番組に関しては、それ程アンテナを張っていないので、いいチャンスを逃す場合が多い。たまたま見た「完全版─明治神宮─不思議の森」。完全版のその前があり、しかも今日流れていたのは再放送だった。

それは兎も角、2年を掛けて取材した、内容の濃い良質な作品だった。流石、NHK!

人工的に作られた「森」が、100年を経て木々が世代変りする、完全な森に成長した。しかも当初の見通しより50年も早くである。

おバカな政治家が、お伊勢さんのようなに荘厳な杉木立にしろ、というのを、東京の土質を知る、良識ある学者がNO!を突き付け、常緑広葉樹を中心にした設計を行い、100年経った今、豊かな、それは豊かな森を都会の真ん中に出現させたのである。日本固有の動植物(絶滅危惧種など)が、保存されているという事実も素晴らしい。

只、土中に生息するダニ達が、50年を経ずして10分の1になったという。ヒートアイランド現象で、土の水分が減少しているかららしい。

もう100年先、東京はどうなっているのだろう…。

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