かんそうの最近のブログ記事

死とエロスを描いた原作をモチーフに、可愛いらしさと寂しさに溢れた作品に仕上がっていた。

ヌメヌメとした金魚の感触に、女体の艶めかしさを描くという感性は、相当エロチックなもの。魚拓にする際に「酢で洗う」という言葉が度々出て来るが、それすらも幾分淫らな印象を受けるのは、こちらが男だからか?

会話のみで進行する原作のシュールさは、文字だから成り立つように思う。これを、実際、俳優の生身を使う時には、ムードだけではなく、実感というか、生っぽさ、人臭さがあると、更に舞台が濃厚になる。

こんな話(もっと違う表現を使ったように思うが)を、終演後の宴席で大野と意見交換した。

伊予屋(いよや=桂憲一)の老体は、その実、枯れ切らない所に面白みがあろう。登場の度に色が違う自由治屋(ふりいじや=押田健史)、経験を糧に!

蝉の詩/劇団桟敷童子

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前回は松本紀保嬢がご出演とあり拝見した。今回は、元花組芝居の佐藤誓が。

何年も土中で暮らし、晴れて地上に出るも、羽ばたいているのは一週間(実際は一か月くらいらしい)という蝉は、人間の生れ変りとか。

蝉と対話する、ホームレスの老婆の来し方が、得意のタッチで描かれる。緑色の紙吹雪は、紀保嬢が出ていた時も吹き荒れたが、実に面白い効果だ。

硬軟自在な誓の演技が見ものだった。連日完売だったと聞く。

鈴の会/深川江戸資料館

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那河岸屋(なにがしや=小林大介)と田仁屋(たにや=谷山知宏)がお稽古に通う日本舞踊、2年毎の発表会。

田仁屋は、市村座の脇狂言だった「七福神(長唄)」を踊る。長唄では最古の曲の一つだそうだ。テンポが早く、手数も多い踊りを、通いだして間もない田仁屋が器用にこなしている。

先輩那河岸屋は「夕月船頭(常磐津)」。大学の実技授業で習った覚えがある。「当たりゃ当たりゃ」と台詞を言ったかな。費用を掛けないのがモットーの会なので、粋な浴衣に短髪という出で立ちが不思議。そうそう、大学の授業で、色男を踊る時は自分の鼻を見ろ、と言われた。つんと澄ました感じが出るからかな。

切りに師匠(会主)の「浮かれ坊主(清元)」。強さと柔らかさのバランスといい、品のある軽妙さに溢れ、流石一流品!いい物を見せて頂いた。

さ、次の2年で彼らは何を見せてくれるだろうか。

三島由紀夫を狙ったそうだ。新劇が古典に対抗し得る表現を、セリフのエロキューションに求め、満艦飾な修辞に彩られた戯曲を残した。当戯曲の文体も一文が長く、出演者一同苦労したとの事。

浪費とセックスしか興味のない、堕落した華麗なる一族が、梅毒と天然痘をミックスしたような性病の蔓延で、滅亡して行く様子を描く、実に骨太なドラマ。

様々な思惑があろうが、新作ダブルキャストは現場も大変だろう。例外を含む男女入れ替え配役に関してなど、個人的な意見は、初日乾杯の席で、代表殿にはお伝えした。

劇作と演出との距離感は大切である。二次元を三次元に移す作業は、お芝居の膨らみを左右する怖い仕事だ。

挑戦する姿勢は良い。自分も忘れないようにしないと。

小太郎君が久し振りに三越劇場へ帰って来た。その上、帝劇「西鶴一代女」で演出させてもらった時は、確か園佳也子さんのお手伝いをしていた佐藤太三夫君、新橋演舞場「和宮様御留」で共演した(絡みはなかったが飲み友達になってしまった)松村雄基君が出ると聞いて駆け付けた。

第一部の芝居で見せてくれた、大川橋蔵写しの銭形平次。小太郎君のいつになくテンション高い演技。橋蔵のことに関して書いた日誌はこちら

第二部はいつもと違い、前半はゲスト達の受け持ち。雄基君がオリジナルの持ち歌を披露し、華麗な歌と踊りの元ОSK桜花昇ぼるさん、そして、湘南ボーイズ「ZANPA」!EXILE風と見せて、メンバー4人とも歌が上手い。石原裕次郎をカバーしたり、オリジナルも昭和歌謡まんま、興味深い。

後半は小太郎君オンステージ。冒頭で見せた「神楽両面」は、昔、「後ろ面」という芸があり、その流れか。また、早替りも一段と素早く煌びやかになっていた。彼の挑戦は今も続いている。

松村雄基君、芝居に舞踊にと、お疲れ様でした。

本物のホテル(パールホテル両国)の宴会場(実際は会議室だが)で、ホテルの宴会場で起こるスッタモンダを見せるという企画。

達者で個性的な役者が揃い、脚本の展開が早く、小気味が良い。ベテラン漫画家(66歳で逝去)のお別れ会という趣向も面白く、挿入される映像もシャレている。一年だけ相撲部屋に居た、宴会部マネージャーという設定の大車輪屋(とばしや=秋葉陽司)が、極めて手の多い「両国ダンス」を器用に踊る。

現実の場所で、芝居の虚構を如何に説得力あるものにするか?というのは、とてもハードルの高い作業である。観客参加型というのもなかなか厄介。更なる挑戦を続けて欲しい。

「両国」に拘った設定なので、無性に食べたくなり、大車輪屋と主宰の冠仁(かんじ、だからカンムリプロデュースなのか!)君らとで、「江戸沢」ちゃんこ鍋(塩味をチョイス)を食らう。久し振りだったが、矢張り美味い!中国人のお客が多いからか、喋れる店員が何人も居て驚いた。

空間も中身も複雑なパズルのようなお芝居だった。ト書きが膨大な戯曲らしいので、人物の会話と共にそれも読み解かなければならない。

それぞれ固有の闇を抱えた三つの家族の会話が、常に入り乱れ、ついには重なり合う。そして停電が復旧すると共に、明るく幕切れを迎えるものの、本質は何も解決していないという、実は怖い物語である。

松本紀保嬢が、振幅の激しい主婦役を。「サド侯爵夫人」で母と妹娘で共演した小林タカ鹿君が、全裸体当たりで、イケメン旦那役を。阿佐ヶ谷スパイダースの中山祐一朗君が、繊細なゲイ役を。元天井桟敷、福士恵二氏が、悩める夫役を。

ロンドンで上演された時は、おそらく大爆笑の連続だったろうな、と思う。その証に、出演者の証言では、昨日は客席が随分笑っていたという。思えば、年齢層の高い業界人の多い回ではあった。

俳優も含め、舞台全体のセンスの中に、いい意味での「おとぼけ」感があれば…。俳優と役との距離感という事を考えた。

古代ギリシャ悲劇三大詩人ソポクレスの「アンティゴネ」の翻案!と聞いただけで緊張するのだが、逆に、四世鶴屋南北の「金幣猿嶋郡」の翻案、と謳えば、大概の人が畏まっちゃうのとおんなじか…。

題材をご案内の向きには、その換骨堕胎振りが愉快なんだろうな。そこに、やまゆり園の事件やら、避難児童のイジメ問題が影を落としているのだから、見巧者には堪らない。

出演者総勢十八人!が度々舞台に勢揃いする。一般的な戯曲の場合、喋ってない人物は大よそ死に体になり勝ちなのだけれど、一人として背景化していない。聞けば稽古の過程で、俳優個々の自由発言を随分採用したそうだ。これは作者瀬戸山美咲さんと椿組との信頼関係あっての事で、濃厚な芝居作りが嬉しい。

初日以降体調を崩していた、佐藤誓の復帰第一日目だった。最近演劇賞に輝いた彼の休演には驚いたが、舞台は彼らしい硬軟自在な演技で、ホッとした。元ボスとして自慢の俳優である。

町中のこじんまりした寺で、原爆の叫びを聞く。

峠三吉の代表作「にんげんをかえせ(序)」を外枠に、次々と平易な言葉で原爆を糾弾する詩が、張り詰めた声と身体で表現されて行く。

「お手軽な朗読劇が蔓延している」という批判が、この企画の骨子らしい。そのスローガン通り、咳(しわぶ)き一つ許さない緊張感が、終始会場を埋め尽くす。一字一句、一挙手一投足、ゼロから編み出し、これでもか!と稽古したろうな、とその苦労が常に滲み出る。今までにない様式に驚いた。射留屋(いとめや=美斉津恵友)が、切れの良い高音域を封じ込め、作品の重みを伝えていた。

「にんげんをかえせ」の詩は全文ひらがなで表記されている。この軽みの中に重さと怖さがある訳で、この軽みが「読む」という行為に欲しいように思う。

こういう題材である。原爆を体験していない、その惨さ辛さを伝え知るだけの現代人にとって、タイトルからして身構えが伴う。だからこその「軽み」が必要だと感じた。ソフトさは時に、驚く程恐ろしいものである。

モグラ/桟敷童子

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かねがね評判を聞いていたが、ようやく東憲司氏の世界を拝見した。

出演者達が表方も兼ねている。客席は窮屈だが、斜度が高いので良く見渡せる。

軍の機密作戦が入口で、次第に泥臭い民俗色が強くなり、果ては振り落としで真っ白な月が出現!噂に名高い大仕掛けもあり、で、この懐かしさは、かつてのアングラへのオマージュか?

松本紀保丈が、皇后から一転、地を這う巫女を演じる。

染五郎君の姉であり、旦那は川原和久君で、ほさかよう君の「空想組曲」でいきなり共演(こっちは日替りゲストだったけどね)しちゃう!という、僕とは因縁浅からぬ存在。ま、彼女のお誘いもあっての桟敷童子だったのだが、頼もしい劇団力を見せて貰った。

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