本物のホテル(パールホテル両国)の宴会場(実際は会議室だが)で、ホテルの宴会場で起こるスッタモンダを見せるという企画。

達者で個性的な役者が揃い、脚本の展開が早く、小気味が良い。ベテラン漫画家(66歳で逝去)のお別れ会という趣向も面白く、挿入される映像もシャレている。一年だけ相撲部屋に居た、宴会部マネージャーという設定の大車輪屋(とばしや=秋葉陽司)が、極めて手の多い「両国ダンス」を器用に踊る。

現実の場所で、芝居の虚構を如何に説得力あるものにするか?というのは、とてもハードルの高い作業である。観客参加型というのもなかなか厄介。更なる挑戦を続けて欲しい。

「両国」に拘った設定なので、無性に食べたくなり、大車輪屋と主宰の冠仁(かんじ、だからカンムリプロデュースなのか!)君らとで、「江戸沢」ちゃんこ鍋(塩味をチョイス)を食らう。久し振りだったが、矢張り美味い!中国人のお客が多いからか、喋れる店員が何人も居て驚いた。

空間も中身も複雑なパズルのようなお芝居だった。ト書きが膨大な戯曲らしいので、人物の会話と共にそれも読み解かなければならない。

それぞれ固有の闇を抱えた三つの家族の会話が、常に入り乱れ、ついには重なり合う。そして停電が復旧すると共に、明るく幕切れを迎えるものの、本質は何も解決していないという、実は怖い物語である。

松本紀保嬢が、振幅の激しい主婦役を。「サド侯爵夫人」で母と妹娘で共演した小林タカ鹿君が、全裸体当たりで、イケメン旦那役を。阿佐ヶ谷スパイダースの中山祐一朗君が、繊細なゲイ役を。元天井桟敷、福士恵二氏が、悩める夫役を。

ロンドンで上演された時は、おそらく大爆笑の連続だったろうな、と思う。その証に、出演者の証言では、昨日は客席が随分笑っていたという。思えば、年齢層の高い業界人の多い回ではあった。

俳優も含め、舞台全体のセンスの中に、いい意味での「おとぼけ」感があれば…。俳優と役との距離感という事を考えた。

古代ギリシャ悲劇三大詩人ソポクレスの「アンティゴネ」の翻案!と聞いただけで緊張するのだが、逆に、四世鶴屋南北の「金幣猿嶋郡」の翻案、と謳えば、大概の人が畏まっちゃうのとおんなじか…。

題材をご案内の向きには、その換骨堕胎振りが愉快なんだろうな。そこに、やまゆり園の事件やら、避難児童のイジメ問題が影を落としているのだから、見巧者には堪らない。

出演者総勢十八人!が度々舞台に勢揃いする。一般的な戯曲の場合、喋ってない人物は大よそ死に体になり勝ちなのだけれど、一人として背景化していない。聞けば稽古の過程で、俳優個々の自由発言を随分採用したそうだ。これは作者瀬戸山美咲さんと椿組との信頼関係あっての事で、濃厚な芝居作りが嬉しい。

初日以降体調を崩していた、佐藤誓の復帰第一日目だった。最近演劇賞に輝いた彼の休演には驚いたが、舞台は彼らしい硬軟自在な演技で、ホッとした。元ボスとして自慢の俳優である。

町中のこじんまりした寺で、原爆の叫びを聞く。

峠三吉の代表作「にんげんをかえせ(序)」を外枠に、次々と平易な言葉で原爆を糾弾する詩が、張り詰めた声と身体で表現されて行く。

「お手軽な朗読劇が蔓延している」という批判が、この企画の骨子らしい。そのスローガン通り、咳(しわぶ)き一つ許さない緊張感が、終始会場を埋め尽くす。一字一句、一挙手一投足、ゼロから編み出し、これでもか!と稽古したろうな、とその苦労が常に滲み出る。今までにない様式に驚いた。射留屋(いとめや=美斉津恵友)が、切れの良い高音域を封じ込め、作品の重みを伝えていた。

「にんげんをかえせ」の詩は全文ひらがなで表記されている。この軽みの中に重さと怖さがある訳で、この軽みが「読む」という行為に欲しいように思う。

こういう題材である。原爆を体験していない、その惨さ辛さを伝え知るだけの現代人にとって、タイトルからして身構えが伴う。だからこその「軽み」が必要だと感じた。ソフトさは時に、驚く程恐ろしいものである。

萩原晃

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2年振りに大親友と会い、昔通りにふざけ合ってからものの何時間で、妻を失い自らも命を絶つ、という急転直下。何と言う無慈悲なドラマであろうか。

2013年の夏、水下から末期ガンを告白されて半年後、これも急転直下だった。会う度に痩せて行ったので、覚悟はしていたつもりだったけれど、一週間前まで自分が演出する稽古場へ姿を見せていたのだ。今も残る彼のブログの最後は「1月17日」…。

水やんの当り役。伯爵家の三男坊、それまで知的な二枚目が勤めるのが普通だった。有川博しかり、加藤剛しかり、の所を、文武両道の西欧貴族のイメージを武蔵屋に重ね、衣裳もまさに野良仕事!

2009年の際は、那河岸屋(なにがしや=小林大介)をダブルキャストに起用した。本人の申し出もあり、稽古時間外の個人レッスンも連日行った。あれから8年、水下追悼の舞台で、彼の当り役を勤める重圧をハネ退け、立派にやり終えてくれた。

初日(20日)カーテンコールの挨拶で、不覚にも出そうになる涙を飲み込んだが、3年目、そして30周年の1月24日当夜、不思議に泣けなかった。千穐楽を無事終え、いつになく虚無的な感覚に襲われているのも、思いっ切り泣かなかったせいかしらん?

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