2016年5月アーカイブ

最近のあやめ十八番作品では出色だと思う。

タイトルが初の片仮名というのが憎い。幕開きからいつもとムードが違うし、前口上を水郷屋でなく笹木皓太君が勤めるのも、いい趣向。

金と女、そしてプライドを賭けた男同士の攻防を、二枚目同士(和知龍範君VS塩口量平君)がやる。これに柳屋の芸者間の妬みも絡むと複雑過ぎるかな?芸者の描写については突っ込み所が多々あるが、何しろ「平成60年!」だからね…。

もっと刈り込めたようにも思うが、ともかく面白かったのは確か。

「ファンファン」は、帰化外国人の蔑称として使われているけど、どうも岡田眞澄氏のお洒落なイメージが付きまとって来るのは、世代だからしょうがないか。

振付(ミヤタユーヤ君)がいいセンス。トニー谷の歌が悲劇を緩和してる。

みんな、「がなる」と言葉が不明瞭になるのが玉に瑕。ちょくちょく出て来る中国語とごっちゃになっちゃう。現場に居る全員が台詞を知ってるから、スルーし勝ちなんだよね、これ自戒も含め。

あのLED、いいな~。外国製らしい。

コンタクトレンズをしていたので、客席で読めなかった(字が小さい…)リーフレット。日付け変わり詳しく読んで驚いた。表紙の「多喜子の声明文」が、作品の半分近くの中身を暴露していた。しかし読まないで良かった、一つ一つの展開が至極新鮮だったんで。

随所に入る多喜子のモノローグ(幕開きは客席へのご挨拶)が、普通ならディテールを端折る脚本家の手抜きに見える場合があるのだが、逆に演劇的な深みを与える秀逸な手段になっているのが素晴らしい。いや~蓬莱君、抜群!

三方客席は役者に緊張感の持続を強いるが、背中も大事!という感触は、大なり小なりM系の「役者」という表現者には、実は心地良いのだ。

人間関係のカリカリ度が極限に達する手前に、必ず客席を緩ますボケが入る。終演後の飲み会で隣席になった小椋毅君によると、いつもよりボケが多いとの事。「(蓬莱君を見ながら)この内容だからかな?」と小椋君がポツリ。確かに、妻帯者にはキツ~いテーマであり、夫婦で見るか単独で見るか、で随分客席での居住まいが変わるらしい。矢張り「した~いッ!」の叫びは強烈だった。

西條君の胡麻塩が、芝居と連動して渋~い。津村君、実は楽しい役。古山君の受けがいいな。女優陣もそれぞれ魅力的で、ほんといい現場だね。

ともかく見たいと滑り込んだ。美輪さんの為に書き下ろした寺山さんへの、美輪さんの思いが満載、いや、殆どこぼれ落ちた感のある絢爛な舞台だった。33年前(鈴木完一郎演出)と同じ劇場で、しかも当作品を経験した後に見られるとは思わなかった。

若松兄さんの紋白が、昔見た時より一段と可愛くなっているのは、年齢が物を言う、正統歌舞伎女形と同じ理屈であろう。

集めたりな、今どき美少年達のラインダンス!紋白が見せたかったのはキノコ雲!?欣也を襲ったチンピラとの立ち廻り(3人の内、2人は一刀の下に切り殺される!母強し!)、(自分が描く)母たらんとする男娼の戸惑いに、欣也が寄り添う幕切れ、その後ろには、まだ生きて居た頃の父と、そして母と並ぶ寺山さんらしき少年の姿。

戯曲を一読して、寺山さんの仕掛け、更に深層心理までを悉く見抜いた美輪さんが、半世紀掛けて熟成させた「毛皮のマリー」は、矢張り圧倒的だった。

そして!そして!是非!花組版「実験浄瑠璃劇『毛皮のマリー』」を再演した~いッ!

刺激的なライブだった。「笑」がテーマの、いつもより娯楽性の高い内容。しかも極めて演劇的で、アイデアマン勝四郎氏の自由闊達さが満載!

「たぬき」。宴会の余興用に、二代目杵屋勝三郎(「船弁慶」も作曲)が作曲したという異色の作品。明治から昭和初期まで活躍した、立花橘之助(8歳で真打になった女音曲師)が得意にしていた。これを豪華な布陣(唄3人の内には、実験浄瑠璃劇「毛皮のマリー」で、〽スタファーノ~!と、ウイットに富んだ美声を聞かせてくれた杵屋勝彦さんが!?)で、これ又お賑やかにお囃子たっぷり!最前列で、熱心に聞き入る金髪の白人女性が嬉しかった。又、映像で愛之助丈、生で笑三郎丈がサプライズ出演で、大盛り上がり。

ゲスト柳家さん喬氏の「幾代餅」が、とても語り口に品があって、紀尾井町の演奏会にはピッタリ。

トリは、辛口演劇評論家だった安藤鶴夫が作詞した「あたま山」。同名の落語から創作したもので、今企画の白眉!本職ゲストの力を借り、大喜利「笑点」風な演出も加わり、唄三味線囃子、皆さんノリノリ!

それぞれの出し物でのめり込めて、すっかり浮世を忘れる事で出来、近頃にない楽しい時間を過ごせた。客席に居合わせた「おーにょ」と四谷駅前で、興奮して飲み過ぎた…。