2016年アーカイブ

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「贋作女形劇」だという。武智鉄二は「(表現者は)嘘をどこまで本当で埋めかえすかという事で、そして嘘と本当が一緒になった時が、死ぬ時だろうと僕は思いますね」と言っていた。

美少年を愛でるという原初的な女形美から始まり、男の肉体で如何に「女」というものを表現するかに、先人達は苦心した。

能は、仮面と装束を通して、幻のように「女」を出現させる。歌舞伎は、一旦女になってみるという所から、やがて、そこから突き抜けようとする。

パンフで対談した様子からすると、水郷屋(みさとや=堀越涼)が目指した「力強さ」の先達としては、鈴木忠志氏の鈴木メソッドが浮かんだ。能の影響を受けているんで、低い、地を這うようなテンションを持った鈴木メソッドだと、男とか女とか関係なくなっちゃう。

野獣のような女形、中性的な女形、この両極は昨今どこにでもある。なよやかさを禁じた上で、その中間を表現するのは、矢張り難しそうだ…。

何れにもせよ、美輪明宏氏や池畑慎之介氏のような、稀有な天才はともかく、演劇という枠の中で女形表現を追求するには、独自の「様式」が必要なのかも知れない。

甘粕に殺された、大杉栄と伊藤野枝の四女「ルイズ」が復讐の為に満州へ渡り、使用人として潜り込むという、ぶっ飛び物語(両親が殺された時、彼女は一歳)!

辻まことやら、森繁やら、実在の人物がゾロゾロ出て来て、ちょいとサスペンスという筋立てが面白い。いつもながらだが、衣裳小道具の拘りに加え、日章旗模様が透けるという美術がシャレていた。

出演者も精鋭揃いで破綻なく心地良い。

花組四人組がいいポジションを頂戴している中、山像かおり嬢が「川島芳子」というのが、「西瓜糖」色を漂わす。のだしん、健介君、しょーいち君、コング君、うえだ君、皆適材適所で、あずきチャンが大活躍!

30年、色々あったろうな…。こちらもそりゃア色々だったさ。ふっこさん、低空飛行同志、頑張りましょう!

休肝日

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風邪や声帯の使い過ぎetc.で、調子をやる(声が出なくなる)以外、飲み続けて来た?年(記憶にない…)。『桐一葉』を終えてから、何ともないのにちょくちょく科している「休肝日」。何で始めたのだろう?

そうそう、実は『毛皮のマリー』の際、風邪の為か、全く声が出なくなった。日常会話が苦しくなる程だったので慌てた。病院にも駆け込んだが、兎も角禁酒した、一週間以上…。何が驚いたって、顔付きが変わった。何処がどう、という訳でないが、明確だったのはアイホールがくっきりした事!楽屋入りして鏡に写る己れを見て、へえ~、本当はこんな顔なのね…。この反省から、(半年以上経たが)抜いて見ようかな、となった次第。

うん、アイホールもそうだが、身体が軽いね。

何を書こうとしているのかな?今、数日(~一週間)置きにノンアルのサイクル、昨夜の休肝日で今夜は飲み日!はい、飲みながらの書き込みである。ええい、核心ッ!

人間って死ぬまで心静かに過ごすなんてないんだね…。元々「心静か」ってのがどんな状態だか。「悠々自適」な時空間て、有り得るのだろうか?豊かさって…。そうだね、生きてるってのは、常に心ザワザワしながら、身心不安定なまま過ごす事なんだね。生々しく行こうぜッ!イエイッ!

水やんが亡くなってから、時の流れ方が大きく変化した、感覚だけどね。ちょっと前の物事が数年を経たように感じちゃう。人生の先が見えたという意識が、「充実したい」という、切羽詰まった実感へ、知らず知らずに導いて居るんだろうと思う。

だからこそなのか、俺、この年でギラギラしてるね、苦痛なんだか、活力なんだか、いい意味でも悪い意味でも…。芝居も人生も、歩み方、ヤッパリ下手かもね、俺、アハハハハハ!

Cキャストを拝見。

10年我慢すれば、「母」の魂は「子」に会えるというルール。死んだ者の思いと生き残った者の思いが、10年という試練を経て、一つになる。

変身して会うか?姿を消して会うか?大天使ミカエルならぬ、「ミエル」「ミエナイ」2人のズッコケイケメン天使の配置が愉快。怖さの足りない「喪黒福造」風な室長の存在も巧み。こういう有り得ない設定を編み出し、人間の悲しさ可笑しさを炙り出すのは、TARAKOさんの十八番!

DCの舞台を見る度に、この御縁も水やんが残したもの、と様々な事が思い起こされる。DCの事務所へフラリと立ち寄っては、パンを差し入れたりしていたそうだ。おそらく飲むのが目当てだろうけど(苦笑)。いやいや、中尾氏や関氏、そして劇団員の皆さんの人柄に魅かれたんだと思う。

水やんは自分で決めたら即行動の人だったから、天使の助けも借りずに、未だにあっちこっちウロウロしてるだろうな…。それとも既に転生しちゃってたりして!

TARAKOさん、12月よろしくお願いします。

柱米゜朝一門会/絵空箱

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昨年の1月以来、お久し振り。

朝司(秋葉陽司)さん、かぶり付きの妻娘の前で緊張していらっしゃいました。

丸朝(丸川敬之)さん、主に小山治師を写したそうだが、食う描写も的確で丁寧でした。

鏡朝(各務立基)さん、高座へ上がった時点で、松尾貴史氏そっくりで驚いた。喋り出すと更に似ていて2度ビックリ!髪型と眼鏡かな…。

中入り後の米゜朝(原川浩明)さんは、いつもながら安定の話っぷり。

巻きの入った大喜利は、仲良し一門のツーと言えばカー度数アップで、言い感じでした。

打ち出し後の宴席で、鶴澤津賀寿さんと、表現者の身体の有り様について語り合う!なんて、想定外の楽しさを味わいました。皆さん、お疲れ様でした。

うみ/西瓜糖

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戦争という極限の状況が、人々の業を丸裸にする。海辺のベトベト、砂のザラリ、蛙の鮮血、汗etc.これらのイメージが、人物達のササクレをより刺激する。

場面が淀んで来ると、いい間で新しい局面が投下される小気味良さ(作=秋之桜子)。幕切れの合唱曲が良いね、祐子さん、丁寧な演出振りは、出演者から聞きましたよ。「語り」術の極致を見せてくれた美代子様、凛とした淑やかさはお手の物!

その他適材適所の妙は、西瓜糖十八番で、20代から70代、それぞれ本物の世代が演じる厚味。

正義とか、潔白とか、言えば言う程、醜くなり、開き直った悪が潔く見える。人間て、だから魅力的なのかも知れない、と思えるのは、お人柄が温かく優しいキャストとスタッフ揃いだからだろう。

「桐一葉」八人衆で、終演後飲み会まで割り込んでしまいました。だって楽しかったんだもん!

この公演が終れば、漸く合流する蜂屋(はちや=八代進一)さんを、「桐一葉」組として繰り出して拝見。

ケンメイ(和田憲明)氏の良い仕事を又拝見出来た。

事件の背景にある巨大で黒い影に、翻弄されて行く男(捜査官etc.)達の葛藤が、只でさえ狭いシアター711の空間に、対面式の客席を仮設して、臨場感タップリに繰り広げられる。

ケンメイ氏の演出を2回経験している身として、稽古での修羅がどれ程だったか、俳優達の緻密な演技を見れば良く判る。同時に、音楽と効果音の使い方が、いつもながら秀逸。この濃さが良いのだよね。

「ネオかぶき」で女形を売りにしていた役者が、演劇の良心「カトケン」の現場へ呼ばれる時代が来るとは!時の流れを思わずには居られない。咲酒屋さんの実力でもある。

これ程シェイクスピアパロディな戯曲とは思わなかった。殆ど痛快と言っても良い。力量のある俳優のチョイスが抜群で、素直に劇世界へ入って行けたが、やはり日本人による欧米人表現だけは、如何とも…。

既に11月公演が発表されている。年3回のペースが、ここ数年、年4回になっている。花組芝居も年5回を経験した事があるが、あれは時代の後押しもあったのだから、昨今の経済事情でこの回数は、全く凄まじい!脱帽である。

昨年、博多座でご一緒した「西川瑞(ずい)」君出演と聞き、拝見。

キャラのはっきりした役と出演陣。作・演1人、俳優2人、によるユニットという形態も含め、今どき風、という言葉で一括りしてはいけないだろうが、印象としてはそうかな。

「影男」という存在が、少し引っ掛かるけど、観客を上手く引っ張り込む、カジュアルな脚本で、サラッと見終われました。

一緒に見た、博多座同士、自由治屋(ふりいじや=押田健史)と、「瑞君は瑞君だったね」という感想が一致。ええ、ちょっと強面なようで、柔和な達磨さん、と言った見た目そのまま。たまに毒を吐くが、至って穏やかな男です。

雑種 花月夜/あやめ十八番

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お団子屋の話がミュージカルになった。水郷屋(みさとや=堀越涼)の生家がモデル。

水郷屋は活動当初から、身辺に起こった物事をいい具合にドラマの要素に織り込んで来たが、団子屋シリーズ一作目「雑種 晴姿」は驚いた。生家を舞台にするという直球!

「ミュージカル」と「音楽劇」の違い云々があるが、初挑戦ご苦労さん!吉田能君の存在は大きい。ミヤタユーヤ君、いつの間にやら芝居が安定して来たね。

終演後、乾杯して直ぐ水郷屋に、単刀直入な意見をぶつけていたら、乙貝屋(おとがいや=磯村智彦)が「加納さん、はっきり言うんですね」と驚いていた。うん、涼には言っちゃうんだよね。言えちゃうってのかな?

凱旋/新宿公社

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「あやめ十八番」や花組で演出助手を勤めるヒロ君(小林弘幸)が、昨年立ち上げた演劇ユニットの第二回目。

血脈と「家」の盛衰、という実に古風な題材を、ヒロ君のカラーである、断片のコラージュで見せて行く。いいセリフ書くんだよね。幕切れがお洒落!

色々意見を言ったら、前回も同じような事言われた~!と。

この現場で、「小林弘幸」という俳優は欠かせない要素ではあるが、一度、思い切って演出席に居続けるのも必要かな?自分も兼ねる人間だがら、説得力ないかも知れないけど、そんな風に感じた。

頑張って欲しいから!の老婆心でした。

フォークソングは「物語」を伴うという構造から、ライブと芝居を合体した、画期的な公演の7回目に、自由治屋(ふりいじや=押田健史)が呼ばれました。

閉園する遊園地に、思い出たっぷりな人々それぞれの人生模様が絡み合ったオムニバスドラマと、それに寄り添った歌が生演奏される。驚くべきは、客席の5割以上を占める男性が、物語毎、演奏毎、にすすり泣くという、興味深い現象!このハマり具合がともかく独特。

オッシーは、1シーンながら、「恐怖時代」終えてからの短い稽古日数で臨んだので、「親分」としてはハラハラしたが、破綻なく、哀しきスリ役を勤めていて、ホッとした。花組に飛び込んで来た座員の演技は、いいパーセント、僕の責任だしね。

偶然、同回を見ていた那河岸屋(なにがしや=小林大介)は、俳協演劇研究所出身で、「オンボロ~」上演劇場=TACCS1179があるビル(俳協の持ちビル)の階上で日々の訓練を受け、卒業公演はまさにTACCS1179であり、そしてその打上げ場所の「鳥ふじ」(踏切隔てて直ぐの居酒屋!那河岸屋「懐かしい~!)にて、そんな思い出話と、オッシー交えて「オンボロ~」の感想やら。

驚く程原文通り!(構成演出=西沢栄治くん)なのだが、「地獄(私娼)」「鉄漿(かね=お歯黒)」など、判り難い単語を避けたり、一方、ラスト対峙する伊右衛門とお岩の会話に、夢の場の台詞を挿入したり、短くする際の取捨も含め、行き届いた脚本になっている。

椿組野外劇では珍しく、舞台(花道も)一面がキレイな板張りで、しかもスライディングの大仕掛けを使い、隠亡堀の本水大スペクタクル!只の水槽でない所がミソで、ご見物も喝采!

逞しく渋い山本亨氏が、伊右衛門の気弱さを随所に見せている。松本紀保さん、超短縮版ながら、浪宅での芝居がとても丁寧。

昨年来から四谷様流行りと聞くが、「四谷怪談」というものには、ニセ物もホン物もないのかも知れない。

場内の殆どが缶ビール片手に団扇ヒラヒラ。掛け声やら歓声拍手やら。冷房のない、昔日の芝居見物ってこんなかな?そんな中、白粉塗って鬘や重い衣裳をつけて熱演していた、往時の役者達に思いを馳せた。

先ず15周年お目出度うございます。

1978年に開場したサンシャイン劇場。歌舞伎でこけら落し(勘三郎・松緑・梅幸「四季三葉草」、歌右衛門「京鹿子娘道成寺」)を行い、珍しい双子(小型の盆が並列にある)の回り舞台を備えている(使われているのかしら?)。

メジャー志向が強いエンターテインメント系の小劇団はここを目指すらしい。

初大劇場の初日、おそらく幕内はバタバタだったのではないか、と思うが、舞台は目立った問題もなく、鹿さんの集大成を見せて貰った。

幕開きに、目指せ!「新感線」面目躍如の重低音「ズドーン!」。けれど劇中音楽の方向性が、鹿の「土俗」カラーを強めている。

以前拝見した「百千万(ももちま)・2008改訂版)」で驚嘆したハチャメチャさは薄まったけれど、その分、万人が抵抗感なく浸れる「マイルド鹿殺し」が随分定着し厚みも増したように思う。

劇団は進化すべし、は我々花組芝居のモットーでもあるが、たま~に原点回帰する必要もない事はないと思うが…。

田仁屋(たにや=谷山知宏)は何度目の出演だろう。今回は中核に近いお役を頂き、嬉しい限りである。楽日まで頑張ってちょ!

1994年、第一回コクーン歌舞伎「東海道四谷怪談」で制作の一人だったH氏。花組芝居「雪之丞変化」旅公演の合間に、渋谷へ赴いた時、彼は既に現場には居なかった…。雪之丞は、彼の奔走で道頓堀中座の公演を果たした。あれは置き土産だったのか…。

松竹入社以前から親しかったH氏。永山会長の引き上げで、歌舞伎座の監事室から歌舞伎のプロデューサーへ。友人の贔屓目だが、まさに社長コースを歩んでいた筈である…。

そんな思い出が去来する中、満員の客席から、全く大歌舞伎とは違う世界(=串田さんの世界)を拝見した。

スーツ姿の素顔なサラリーマンと白塗りの女形が混然と行き交い、下座と同じ良きタイミングでハイセンスな音楽が流れ(ホーミーは怨念に合うな)、いつもの場面プラス、三角屋敷は元より、仏孫兵衛内(「小仏小平住居」となっていた。小塩田隠れ家とも)も丁寧に上演しながら全編3時間という手頃さ。

終演後、串田氏から「思う所があるでしょ?」と言われた。勿論様々あるけれども、何よりかより23年費やし、大歌舞伎を自分の掌に握り切った偉大さは、誰も越えられない。おこがましくはあるけれど、改めて、我々花組芝居の好敵手は「コクーン歌舞伎」なのかも知れない、と思い、妙に嬉しくなった。

「配達されたい私たち」で共演した一色洋平君が、花組版「いろは四谷怪談(20世紀版)」同様に、ハンチングを被った洋装の質屋(古着屋)で登場する仏孫兵衛内の場。現代劇チームが大半という助けもあってか、世話場らしく溶け込んでいた。

児玉竜一氏が新聞評で、大歌舞伎での全幕上演を望んでいた。それが本来の良識であろう。

創立40年、いずみたくメモリアル25年。偉大な主宰者のお陰か、亡くなって25年経ても、立派な規模と質の舞台が作れるとは、羨ましい。

4年前に閉館した「六本木アトリエフォンテーヌ(フォーリーズの拠点地だった)」が懐かしい。花組芝居でずっと音響を担当して頂いていた清水吉郎氏(フォーリーズでも音響をなさっていた)から、1980年に上演された『洪水の前』の思い出を良く聞いた。そして日芸の山口正義先輩が、劇団員でもあったので、「いずみたくフォリーズ」当時の舞台は拝見している。

1975年に初演された作品をリメイク、実にオーソドックスなミュージカル。坪内逍遥訳の要素を落とさず、キューッとコンパクトにした脚本(瓜生正美氏)。スズキ拓朗君の振付(最近、引っ張りダコ!)。歌唱指導に山口先輩の名前が。

オビロン(オーベロンでないのね)役に、親戚の森田浩平さん。やっぱり声がキレイだなア。そして、30代の若さで主宰の大役を仰せ付かっている大塚庸介君のパックが、唄も踊りも鮮やか!全身緑色な少しカメレオン入ったコスチュームで、身体を縮めてピョンビョン動くのが、ダークで怪しく、で、愛らしいのは大塚君のキャラだろうね。

庸介君、頑張ってね!

死者が現世に現れ、自らの死を再現する。夢幻能の趣向を、見事に義太夫化(=庶民化)した二段目の山場!これを、原典の平家物語へ遡り、ミニチュアな感覚の前説をタップリ見せ、結局、知盛に二度も入水させる!(佐藤誠君の落ち込みが、ちゃんと足裏を見せて見事)という構造。

堀川御所と伏見稲荷を、それなりのボリュームで辿って、渡海屋のセットを儀式のように飾り、いよいよ本題、という段取りもニクい。

過去の出来事を第三者に伝える「語り」の仕組みを、実にダイレクトに表現していて秀逸!壇ノ浦に入水した、平家の人々の赤系の古着が、ゴミとなった赤旗の無惨さであり、それを御装束として幾重にもまとう安徳帝が、そのボロ赤旗を脱がされ、真っ白なワンピース姿の女の子に戻る(姫宮!)。そして、薙刀にその執念の赤旗を数多巻き付け、碇に見立てて入水する知盛、というバトンタッチも見事!(演出=多田淳之介君)

魚尽くしもご注進も、判り易い上にちゃんと歌舞伎になっててグッド(夏目慎也君&武谷公雄君)。三悪道の件を、平家の死者達に語らせ、歌舞伎通りの動きで知盛が熱演する、そのバツクにあの戦メリのテーマ曲!客席がすすり泣く効果はあるけれど、この曲がお気に入りらしく随所に使われているが、あの映画と同時代に育った自分には、ちと閉口。クライマックスに使う舞台を余りにも見過ぎたせいかな?

清志郎の歌も、歌詞がテーマにベタ過ぎな印象で、なくもがな…。エピローグ、爆撃音の中で義経を取り巻き、滅びし魂が盆踊りを繰り広げるのも、視点は面白いが、曲一杯続けるのは如何にも長く、その他、後半は音楽に頼り過ぎているかも…。

それはそれとして、いや~面白かった~!木ノ下君、10周年おめでとうございます!!

1997年旗揚げだから、今年は実は19年でした!という話題がネット上にありました。数えで判断したのですね。

花組芝居は1987年創立なんで、来年30周年です。そうです、花組芝居は道学先生よりも10年お兄さんなんです。

聞けば、過去作品のキャラクターを次々登場させる趣向だったとか。ともかくご出演のお顔触れが豊か!豊か!ドラマとしては、もう少し絞り込んだ方が良いように感じたけれど、「オールスター大集合 夢の競演」で既に満腹満足な舞台でした。

青山さんはやはり年齢不詳だ。利花さん熱唱!井之上さんの間の良さ。辻さんの安定感。山像さんの破天荒。水内さんの渋さ。伊原君の真面目さetc.咲酒屋のサツクス久し振り。

来年は天下晴れて「20周年」、青山さ~ん、出してよ~!

最近のあやめ十八番作品では出色だと思う。

タイトルが初の片仮名というのが憎い。幕開きからいつもとムードが違うし、前口上を水郷屋でなく笹木皓太君が勤めるのも、いい趣向。

金と女、そしてプライドを賭けた男同士の攻防を、二枚目同士(和知龍範君VS塩口量平君)がやる。これに柳屋の芸者間の妬みも絡むと複雑過ぎるかな?芸者の描写については突っ込み所が多々あるが、何しろ「平成60年!」だからね…。

もっと刈り込めたようにも思うが、ともかく面白かったのは確か。

「ファンファン」は、帰化外国人の蔑称として使われているけど、どうも岡田眞澄氏のお洒落なイメージが付きまとって来るのは、世代だからしょうがないか。

振付(ミヤタユーヤ君)がいいセンス。トニー谷の歌が悲劇を緩和してる。

みんな、「がなる」と言葉が不明瞭になるのが玉に瑕。ちょくちょく出て来る中国語とごっちゃになっちゃう。現場に居る全員が台詞を知ってるから、スルーし勝ちなんだよね、これ自戒も含め。

あのLED、いいな~。外国製らしい。

コンタクトレンズをしていたので、客席で読めなかった(字が小さい…)リーフレット。日付け変わり詳しく読んで驚いた。表紙の「多喜子の声明文」が、作品の半分近くの中身を暴露していた。しかし読まないで良かった、一つ一つの展開が至極新鮮だったんで。

随所に入る多喜子のモノローグ(幕開きは客席へのご挨拶)が、普通ならディテールを端折る脚本家の手抜きに見える場合があるのだが、逆に演劇的な深みを与える秀逸な手段になっているのが素晴らしい。いや~蓬莱君、抜群!

三方客席は役者に緊張感の持続を強いるが、背中も大事!という感触は、大なり小なりM系の「役者」という表現者には、実は心地良いのだ。

人間関係のカリカリ度が極限に達する手前に、必ず客席を緩ますボケが入る。終演後の飲み会で隣席になった小椋毅君によると、いつもよりボケが多いとの事。「(蓬莱君を見ながら)この内容だからかな?」と小椋君がポツリ。確かに、妻帯者にはキツ~いテーマであり、夫婦で見るか単独で見るか、で随分客席での居住まいが変わるらしい。矢張り「した~いッ!」の叫びは強烈だった。

西條君の胡麻塩が、芝居と連動して渋~い。津村君、実は楽しい役。古山君の受けがいいな。女優陣もそれぞれ魅力的で、ほんといい現場だね。

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