2014年2月アーカイブ

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花組通信

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平成5年12月に創刊。もう21年になるのか…。


旗揚げメンバーは、戦後の「公害」を幼少時モロにこうむった世代だから、短命なんじゃないか?という説が以前から言われていたんで、最初は誰か?と、当事者間では酔った勢い、よく話題にしていました。


20081222212450.jpg…トップバッターは水下きよし丈になってしまいました。そして、有料会員様のみに発行して来た花組通信初の追悼号となります。


お別れ会のご報告、思い出写真の数々、ゲストそして座員達の寄稿文etc.もう武蔵屋満載です。


通常号でも、座員達の連載、関連公演レポ、抽選プレゼント、マル秘情報など、カラー頁4面(モノクロ4面で全8面!)の公式情報誌は今時珍しいですよ!今からでも遅くありません。どうぞ花組会員にご登録下さい。

劇中歌

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「悪名」は音楽劇ですから、当然歌があります。6年前「ぼんち」の時も歌いました。今度も歌います。この歌が傑作!


cobaさん、「ぼんち」の時に味を占めたのか、マキノ氏の作詞に刺激されたか、ぶっ飛びソングを提供してくれました。


DVC00148 (11).JPG顔合せの時、「加納さん、この音出る?」音域チェックをされて「うん、じゃこの幅で大丈夫だね」出来上がって来た歌がね、いやア面白い。コーラス連と初めて合わせた時、俺歌いながら大笑いしちゃった。御期待あれ!


話変わって、ご近所の道路工事。立ち退きが遅れ、いつ開通するか?と周辺をヤキモキさせた道が近々繋がるようです。これで環状8号線と多摩堤通りが、蜘蛛の巣の横糸のように、ホンの数分で行き来出来ます。


てか、もう出来てるんやから、早う開いたらええのに…。

昨年12月11日に亡くなられた、ピーター事、竹邑類氏を偲ぶ会@博品館劇場。享年71歳、癌だったそうです。

ここの所、2004年に上演した、花組版「和宮様御留(有吉佐和子さんの小説を僕が脚色)」に関しての一文を執筆している。その公演の2年後、新橋演舞場で、その僕の脚色本を演出して頂いたのが竹邑類氏だった。

今思えば、信じられない大顔合せのキャスティング(小川眞由美さん、池畑慎之介さん、波乃久里子さん、英太郎さん、安井昌二さん、松村雄基さん)で、花組からは僕、植本潤、桂憲一、八代進一。水下も花組板と同じ「酒井若狭守」を勤めている。

こんな現場、誰が仕切れるのか!?実際、色~んな事が起こった(苦笑)のだが、慌てず騒がず、稽古でシーンを繰り返す合図「ど~ぞ!」を涼しい顔で仰有る、竹邑氏の様子が愉快で、今やクセが映ってしまい、僕も「ど~ぞ!」派の演出家になってしまった。

前代未聞、劇場借り切って「(司会の田村連氏曰く)芸能大会」がメインの偲ぶ会には、歌踊り演奏、贅沢極まりないメンバー(宝塚の眞帆志ぶきさんとSKDの甲斐京子さん、名倉ジャズダンススタジオ、ピアニスト小原孝氏、その他)で14景!

客席だって、ミュージカル界のスターぞろぞろ、商業演劇系その他、舞台に劣らぬ濃~い顔触れでした。

そんな人脈と経歴を持つ大先輩竹邑さん、あの時、僕の橋本実麗の為、ト書きにないのに、花道引っ込みの「ひんぷくダンス」を自ら面白がって振付してくれた。

類さん、ありがとうございました!

邪気

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先日、興味深い体験をした。

ある席で、気功の先生とお弟子数人と居合わせた。お弟子の一人が僕を見るなり「先生に診て頂いたら?」と言う。勧めに応じてお願いすると、先生「先ずジャキを払いましょう」

ジャキ?

少し首をさすり、両肩に手を置いてジッとする事暫く。すると、もう一人のお弟子が、急にハンカチで口を押えた。どうやらエヅいたらしい。その後、指で背中の真ん中に何やら文字らしきものを素早く書くと、両手を肩から腰へ拭い落すように一気に流して終り。

「さ、どうです?」アレ?その直前まで肩こりかと思っていた強張りが嘘のように…。これってもしや?

以前テレビで、そういった力をお持ちの方が「除霊」と称して似た動作をしていた。先生曰く「(両手首をダランと下げ)これじゃないよ。邪気を払ったんだ」

邪気ッ!いつの間に、何処で憑いたのだろう?最初に指摘したお弟子が「お会いした時から、(肩の上を手でヒラヒラさせる所作をし)両肩に見えたんです。貴方は直感でお仕事なさるでしょ。そういう方は憑き易いんです」

う~む…。

これもあの日以前、出演の渡辺徹氏よりお誘いを受けた舞台。

大評判だった舞台の再演で、徹氏は初演には出ていない。三谷幸喜君の舞台も久し振りなんで、最初の大雪(14日/金に2度目、更なる大雪)で視界も怪しい中渋谷へ。

全て実在の人物を同じ時空間に集め、それぞれのドラマを巧みに組み立てた、計算し尽された戯曲と、丁寧な演出に感服する。病気を克服し折角スマートになった徹氏に、百貫デブをさせるという皮肉が利く!歌手でもあるから、劇中歌が効果的。

終演後、三谷君にもご挨拶。「加納さん、来てくれたんだ!」いつ会っても、大学当時のままで、嬉しいやら、面映ゆいやら…。スタッフキャスト皆さん一流なお仕事で、とても贅沢な気分のまま、やっと雪が止んだ渋谷の繁華街を駅へ向かう中、大雪対策の重装備な私服だけが悲しかった(笑)。

「お別れ会」仕込み真っ只中だった所を中抜けして戻った事務所では、皆でお疲れ乾杯をしたいけれども、事務所近くのコンビニも記録的な大雪で品切れ…。そうとは知らず、駅前のコンビニで買い込んだ、僕の差し入れに皆飛び付いた!

こんな時に図らずも救世主の優越感を味わった。

伊予屋(桂憲一)、佐藤誓(元花組芝居)、若松武史(元天井桟敷、この肩書き判る?)、が顔を揃えるという驚き企画!

初日だった。客席に三津五郎丈がいらした。「これ題材にしちゃうんだね。大阪公演もあるよね」「ええ、八瀬の童子が出て来るなんて…」代々、天皇の御輿を担ぐグループが居るとは聞いていた。その被差別的立場を真っ向から扱うとは…。

後でわかぎ嬢から「東京だと吃驚しはるかも知れんけど、大阪では、みな知ってる事やから」とケロリ。近頃では、大正天皇を扱った舞台が、何の問題なく注目される時代だから、ヒヤヒヤする必要も無かろう。

それはともかく、三津五郎丈は僕の顔を見るなり「俺もな、三津之助がな…」と。

前名「坂東みの虫」と名乗っていた当時、僕が大学で歌舞伎を演じたり、ネオかぶきに到る創作の原点、歌舞伎版白鳥の湖(作&演出、そして黒鳥を演じた)をライブ空間で上演した際など、様々助言やらお手伝いをして頂いた「坂東三津之助」丈。

昨年51歳で亡くなった。胆のうを患っての正しく急死。九代目のお弟子さんで、当代とはおそらく、幼少時代から三津五郎家の様々を共に歩んで来たろうと察する。「貴方の気持ちが判るよ」と言ってくれた目にスウ~ッと涙。

有難かった…。

全編ガーシュインの名曲で彩る、オリジナルミュージカル。売れない劇作家が、自分の前世を辿り(退行催眠)、自分の行くべき道を見付けるという話。

シアターサンモールで6ステージの規模で生演奏という贅沢さ!ミュージカル本場の国々とは演劇状況が違うし、比べられないとは思うが、大小ひっくるめて、日本のミュージカル界は、それなりの層の厚さなのだろうと感じる。

出演者に親戚の森田浩平氏が居た縁で拝見したのだが、僕と同い年の彼は、出演の中では最年長らしい。客席には兄の森田順平氏、その他親族が幾人も居て、終演後、近くのイタ飯屋で会食。

順平氏は前日の事を知っているので気遣ってくれたが、演劇命の「彼」だったから「折角芝居見たんだから、構わず楽しく飲めよ」と、きっと勧めてくれた筈…。

あの日、キャンセルせずに拝見した。

前半の組立てがタップリしていて、後半、意外なテーマが現れ、大波のクライマックスが押し寄せる、わかぎ氏お得意の筆運び!

田仁屋(谷山知宏)は、最早飛び道具でなく、ある種の安定が見えて来たかな。

升っさん「無くなる前に円形で芝居がしたい!」と、直々劇場へ出向きスケジュールを押さえたと聞く。同じ思いの演劇人は東京に多かろう。惜しい、完全円形の劇場が消えるとは、如何にも惜しい。

同夜遅く、演出部の大野とマネージャーの辻が、事務所で飲みたいというので、終演後直ぐ向かう。驚いた。座員やかつての仲間、関係者が10人以上集結していた。

それぞれの思い出を話し、大笑いし泣いた…。そして、皆の合意として「お別れ会」の骨子がその時固まった。

「ぽんち」以来、再び沢田組に入れて貰ってます。こんな役もやるようになったのだな~、というお役であります。先ずはご報告まで。

余裕の一年と思っていたら、演劇人人生最多!8本の舞台に関わる事になりました。もうバタバタで、1月からの観劇もブログに書き留める暇がございません…。ああ、原稿の締め切りも、脚本の執筆も…。昨夜、驚きの体験をしたのですが、これも後日…。

水やん、どうだった?

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DVC00134 (14) - コピー.JPG花組から助っ人もあり、バラシもあっちゅう間に終わったよ。


脚本の新井友香嬢は、現在子育て真っ最中らしいね。そのせいか、ホンワカの中に、逃れられない苦味のようなものが入り込んでいて、演出のし甲斐があった。いつもは長編戯曲を書いていて、今回のような短編集的な本は珍しいんだって。


音響の高塩顕氏には、花組張りの細かい調整を頼んじゃった。GS括りは殆ど直感だったけど、お気に召してくれたかな?


照明の諏訪誠氏とは、実は初対面でなく、1989年、ペーパーカンパニープロデュース、当時の小劇場スター大顔合せ、あの幻の公演「広島に原爆を落とす日」で、照明部として現場にいらしたと聞きビックリ!超短い仕込み時間で、しかも簡易な機器で乗り切って頂いた。


壁面の絵が大雪の遅配で間に合わなかったのは残念だったけど、絵空箱という空間を上手く利用した箕田英二氏(大阪在住)の美術、刺激されちゃって演技エリアとしてフル活用しちゃった。絵のない初日は、大西信之氏が描いてくれた君のイラストを飾ったけど、良かったかな?


さて俳優陣。鈴木麻衣花ちゃん、若さの勘の良さで僕の細かい注文に良く答えてくれた。吸えないのに、喫煙芝居をさせちゃった。


家納ジュンコちゃん、学校は新劇系なんだけど、あの「サモ・アリナンズ」所属だからか、突っつくと化けちゃうから、ぴったりの役だった。


中村たかし君は、日芸の後輩(14歳違いだけど/笑)でね、ダメ出しがし易かったよ。スイーツ好きの好青年だけど、力任せの所は水やんと似てて、二日目の舞台で指に切り傷負っちゃって、床に血の滴りが!てな事も。


知ってた?高木稟君は、ミヤコ蝶々さんの最後の弟子だったんだって。道理で、現代演劇の俳優では出せない間合いが抜群だった。彼を知る演劇人がこぞって「腕がいい」って言ってた。


急遽出演が決まった、店員役の西うらしんじ君、沢山の小道具を上手く捌いて、現場でもいい潤滑油だった。


DVC00928 - コピー.JPGそして中道裕子嬢、主宰だから仕方ないけど、何もかも一手引き受けで、本当に彼女のパワーで公演を突っ切ったね。


「男っぽいキャラなんで、恋愛物に馴れてへんから」と言いつつも、細やかな芝居をしてくれた。共演者への演技上の気配りも行き届いていて、そんな人柄から、客席には毎回、演劇人の仲間達が大勢顔を揃えていた。


沢山の嬉しい出会いがあったのは、ともかく水やんのお陰。有難う!


昔、良く水やん運転の隣でナビ役をしたけど、今回は君を助手席に乗せて、僕がハンドルを握った印象だよ、免許ないけど(笑)。ふー、今日一日は休ませて貰うね。夜、また、ゆっくり飲もうよ、水やん。

2日遅れで大阪から届きました。大雪の影響です。今夜の舞台で、やっとご披露出来ます。

あとの祭り/初日

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DVC00134 (13) - コピー.JPG朝10時搬入、8時間後に本番!超強行軍の中、関係者皆さん良くやってくれました。そのご褒美の大入り満員、水やん!どうにかしたよ!


とにもかくにも、これを企画したナカミチ円陣の中道裕子嬢の頑張りは凄かった。あんな事があり、こん事もあったのに、より良い現場作りに寝食削ったのだろうと、想像させない明るさとテンションの高さで、全体を仕切りました。


めでたく乾杯!

ナカミチ円陣の人々

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DVC00256 (4).JPG水やんから引き継いだ稽古も後一日!僕の本番や諸々でアタフタと取り組んだ日々。幸か不幸か、中道さん以外、水下に演出された事のない方々ばかりなんで、バトンタッチで生じるギクシャクは一切なく、稽古自体は実にスムーズに進行しました。


昨夜は初めて、出演者の皆さんと会食!


1月15日(水)の稽古初日、驚く程痩せてはいたが、元気に読合せ稽古に臨んだ水やんが、皆に勧めていた、稽古場近所のインド料理店「TAJI KUTI(タジクチ)」へ!又もやの大雪の中、楽しい一時となりました。インド人の店員さん(店長含め全員が現地の方々)とパチリ。


明日16日(日)~18日(火)まで絵空箱にて、ナカミチ円陣「あとの祭り」、水やんがお待ちしております。

チケットはこちら!

2月12日&13日

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DVC00150 (6).JPG山藤貴子嬢(飛ぶ教室)、わかぎゑふ嬢(玉造小劇店)、ダブル誕生会!にサプライズとして花組関係者も参加。


座・高円寺での「洋服解体新書」終演後、指定の場所へ駈け付け、演劇人らしい宴を楽しみました。


それぞれのケーキが、それぞれのキャラを現してて愉快!


DVC00148 (8).JPG集まった場所が「廃墟居酒屋」なんだから、いよいよ芝居者に相応しい。店内わざとボロボロにしてあってね。ゴチャゴチャ入り組んでて、潔癖症は悲鳴上げるんじゃないかしら?


「ここんとこ、良く合うね…」顔触れの中には、ここ数週間、幾度も飲み合った人々も。


な~んか人生だね~。

鳴流屋の歌声

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急遽決まったお別れ会。死は普通予告なしなんで仕方ないのですが、出席出来ず無念な座員も数名居ました。


DVC00227 (3) - コピー.JPGそれでも在京組は、前後の仕込みやらバラシにその働き振りを見せてくれましたが、如何せん遠い地で日々を送る鳴流屋(丸川敬之→坊ちゃん劇場長期出演中)は、どんなに寂しかったろう…。


そんな想いを、音の配達人が届けたCDで、演劇関係者のみの第二部に歌声で参加しました。


替え歌だったんですが、水下兄が勤めた役々を織り込んだ、彼なりの武蔵屋賛歌でした。


丸、水下に代わって御礼を言います。有難う!


画像はお別れ会最終日終了後、居残れた連中と「水下きよし」を誕生日席に呼んでの酒盛り。

キレイさっぱり

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「お別れ会」会場は片付きました。やろう!と決めた途端、様々な方々がお手伝いの名乗りを上げてくれました。


25年来のお付き合いである音響の清水吉郎氏。照明の増田隆芳氏(ブライト)は社員総出でした。小道具の石井みほ嬢は、私の生前葬も会場の設えをしてくれました。そして数種の映像集を徹夜で編集して頂いた、弾丸列車の西垣克啓氏。いつも公演の受付などにご協力頂く女子チームも次々駈け付けてくれ、何もかもが滞りなく終える事が出来、心より御礼申し上げます。


DVC00150 (5) - コピー.JPG一先ずホッとはしていますが、個人的には水下の後を継いだ「ナカミチ円陣『あとの祭り』」の稽古が佳境中の佳境!そして既に発表致しました、水下きよし追悼公演が2つ!


花組HON-YOMI芝居「南北オペラ~水下きよしの歌声が蘇る~」、BoroBon企画&花組芝居「ノータリンベイビーズノーリターン」。


特に後者は、2010年に、扉座の横内謙介氏の戯曲を水下きよしが演出したもので、彼の演出を踏襲しつつ、花組芝居の現場で再演するという特別な公演となります。
武蔵屋パワーを受け継ぎ、一気に駆け出しますんで、皆さんも付いて来て下さ~い!


画像は水やんのデスク。

彼の回りにこんな方々が居たとは…。

やっと、

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二人切り。DVC00151 (5).JPG

通夜&告別式、お別れ会、武蔵屋祀り、メモリアルルーム。「水下きよし」を送る各々を全て滞りなく終える事が出来ました。

1月24日(金)のあの瞬間から、花組芝居座長としてご挨拶申し上げる事が出来ず申し訳ありませんでした。症状は聞いていましたので、覚悟はしておりましたが、居なくなった事実が自分には余りに巨大で御しようがなかったというのが告白です。

生前飲んだ折に、度々「どっちが送るんだろうな」と冗談に言った覚えがあります。

4年前、僕が50歳を迎えるに当り、「生前葬やろうよ」と後押しし、そして仕切ってくれたのが水やんでした。能天気な彼の性格から、当日開始ギリギリまで「どうにかなるさ」的な進行振りに、回りはあたふたとしましたが、式は盛り上がり二次会もワイワイと楽しく過ごせ、嬉しい思いをしました。

そして自分の番がふいに巡って来てしまいました。「俺はちゃんとしてやったんだから、加納ちゃんもちゃんと送ってくれよ!」ずっとそう言われ続けたような日々でした。

僕の仕切りどうだった?とは聞きません。たとえ水やんが満足したとしても、僕は、水やんの側へ行くまで、ずっと送り続けるつもりです。30年間、僕をいろんな事から守ってくれたそのお返しは、それくらい時間掛けさせてよ。

追悼の企ても出揃いつつあります。間も無く発表出来ると思います。
水下きよしへのこれまでの、いやこれからの熱き御贔屓お願い申し上げます。

遺憾

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未だスジは通されていない…。

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