2011年11月アーカイブ

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「ししとらでんあうんどう」

芸術監督で「あられる(三響会さんのご挨拶文にそうあった)」野村萬斎氏の企画公演の7年目。初めて監督自らご出演の今宵、正直、お目当ては、三響会版「二人三番叟」。

能や日本舞踊といった、流派は違うが同一のジャンルでの「立会い(同じ空間で同時に勤める)」はあるが、他ジャンル(能狂言と歌舞伎舞踊)というのは、例が少ない。過去には、例えば「安宅」と「勧進帳」、「一角仙人」と「鳴神」等を、休憩挟んで競演という形はあった。つまりあくまでも別物として上演した。

「三響会」というは、能の大鼓方の父と、歌舞伎長唄囃子方の母の間に生まれた三兄弟。長男は能へ、次男三男は歌舞伎へ。長唄のお囃子連中は、お能のお稽古もするんですね。京舞の井上流が、能のシテ方を勉強する例もある。同じお稽古場で、汗を流している若い男女が結ばれちゃう。この三兄弟が異ジャンルコラボの、まさに愛の結晶!

どうしても世間話に終始してしまう「レクチャー(三兄弟と萬斎、染五郎)」が微笑ましい。

眼目の「二人三番叟」。三兄弟の大小が、それぞれ能と歌舞伎を行き来しつつ、双方を橋渡しする構成。萬斎氏は大小鼓と笛で、染五郎氏は長唄と囃子(笛が、能と長唄、それぞれ担当がお二人)で、交互に「揉之段」。藤間勘十郎氏の振付が、随分お能寄りになっている。「鈴之段」が圧巻。大小鼓&笛で始まり、それに三味線が加わり、最後は唄も入り、上手半分(染五郎)と下手半分(萬斎)で完全に立会い状態になる。

レクチャーでの能と歌舞伎の様々な違い表明で、そもそも武士と町人の社会的な違いが、その根源なんだと痛感。表現を精神的な作法に高めた武家、表現を娯楽として楽しんだ町衆。萬斎氏も染五郎氏も、今宵限り「一期一会」の緊張感溢れる表現をしてくれました。

劇場付き芸術監督様々あれど、日本の公立劇場として、隔絶してしまっている古典と現代を繋げ得る唯一が、萬斎氏です。ほんとは「唯一」じゃいけないんだけどな…。

気象予報士木原実氏がマジ芝居してる!客席が嗚咽する!そんな情報に準備万端だったのに、涙が溢れ出た。オムニバス形式を装いながら、全てのストーリーに関わりあり、最後に何もかもが繋がって、人に優しい気持ちになれる、巧妙な脚本。愛し愛されの様々な形。その美しさに、正直、嫉妬しました。

声優さんが出演者の大半なので、そういう括られ方をするかも知れないが、いい本です。出演者も達者揃いで、このプロデュース公演、もっと評価されるべきと思った。ジャンル違いという下らない判断で、その筋の人々、見にも来ないのよね…。それはそれで、判り易い群がり方なんだけど。

SHINGEN/脇組(ネタバレ)

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初演と比べ、随分脚本が改まっているので、印象がガラリと違う。以前は、シェイクスピア同様、ハムレットの一人苦悩だったが、回りの役々にたっぷり見せ場があり、全体に分厚くなった感じ。お顔触れを考えると、これくらいのボリュームが必要だし、隅々に目が届いている印象がある。この後、宝塚バウシアター、名鉄ホール、と大きな場所の公演もあり。

終演後、那河岸屋と久し振りに終電無視して飲み語らう。

「にほんふりそではじめ」神代を扱った大近松唯一の作品。昭和46年に戸部銀作脚色で、古典歌舞伎仕立てで復活上演された。野澤松之輔の曲と、六世藤間勘十郎の振が面白く、今回を含め四回の上演を全て見ている。四演目は、全体の筋をまとめて説明する序幕付きだが、この幕、中身も見た目も随分と薄味な仕上がりになっている。

「曽根崎~」改めて、モダンと古典が上手く融合された作品だと感心する。DVC00516.jpg「日本~」といい、この「曽根崎~」も、「歌舞伎らしさ」を肌で会得した人々が再創造したものは、幾度見ても歌舞伎好きの感性をくすぐる。

本日(25日)山城屋が襲名以来100回目のお初という事で、終演後、花束贈呈とご見物全員にサイン入りブロマイドが配られた。昭和28年の初演から通算すると、1300回!を超えるそうだ。

八代目坂東三津五郎と武智鉄二の対談集「芸一夜」を読んだ感動は、以前書いた。何?今頃読んだのかい?なのだが、また不思議な本を発見した。

これも昨秋の発行なので、どれだけこういう事に疎いかが、知れてしまうが、特定の書籍を解説する研究書の類が、ごく一般的な本屋に並んでいたのに驚き、購入。

「芸一夜」も戦後の古典芸能が如何に偽物かが、次々指摘される、私にとっては足元をすくわれた思いがしたのだが、この「今尾~」は、それを更に具体的な事例を挙げて、噛み砕いて解説されているので、もう、戦後「名優」と呼ばれていた人々が、悉く木っ端微塵でね。

挙句には、新聞評やら興行会社までが吊し上げ。何だが、スゴイ本です。

笑座こんぱる

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友人にお誘いを受けての初ショーパブでした。博品館劇場の裏「金春通り(江戸時代、能役者のお屋敷があったそうです)」にある金春ビルB1に、ハトバスのツアーメニューにもなっているレストラン劇場があります。

DVC00515.jpg聞いた所、都内にあるショーパブの中でも、狭い空間を目一杯使うのが売りなんだそうです。50分のショー、8人のダンサーが、豪華な衣裳を早替り、フルで踊り倒します。男女とニューハーフ混合で、日により入れ替えのメンバーには異国籍の方も居るとの事。でね、意外にフードが美味しいんですよ。


花組のダンサー、田仁屋を伴ったのですが、何と!花組に入る以前に共演した友人(お名前聞くの忘れた…)が、従業員として居たのですよ。彼も時には、ここの舞台で踊るんだそうです。画像は入り口看板。下で谷やんがVサインしているんだが、暗かったね~。

外郎売って昨今上演頻度高いが、まだ固定されてない、十八番の中で唯一じゃないかしら?ただ、振り事でなくちゃんと喋る形を復活したのは、当代成田屋かな。

演出は音羽屋だけど、体に玉三郎風が入った道成寺。七代目梅幸的な江戸前な女形は消えたって事か…。そうそう、幕切れが、筋書の写真(興行前半)はお祖父さん通りだったが、今夜は鱗模様の襦袢を見せていた。あの市松の帯が鱗の代りだと思っていたが…。

菊十郎丈の鰹売りが、脇役や名題下が濃かった時分の、最後の御名残なんだね。

久し振り2日間たっぷり歌舞伎に浸った有り難さはともかく、現実的には目が遠くを見てしまうのも、事実。

歌舞伎座

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DVC00504.jpg何だか最近、歌舞伎関連の日誌で泣いてばかりいるようだな…。建設中の歌舞伎座。ぶっとい鉄骨でズンズン組み上げてます。この地で、どんな歌舞伎体験をするのだろう。


あ、昨日の追伸。松緑君のご子息「藤間大河」君の丁稚(魚屋宗五郎)が可愛くて堪りませんでした。真っ直ぐ成長して欲しいな。

昔、南座改装中につき、祇園の歌舞練場で顔見世やってたね。七世梅幸十七回忌、二世松緑二十三回忌、追善興行。相応しい演目が揃います。昨今、追善と言っても、なんでそんな狂言が?ってのが多い中、時代・舞踊・世話という定式通り、お二人所縁の芝居がキレイに並んだ昼夜が嬉しい。

二世松緑通り、引っ込みのない吃又。車鬢、塗り笠の古風な吉野山。当代松緑君が実に丁寧に勤めてました。静の姫扇、昔は房無しだったそうな。衣裳も中振だし。旧歌舞伎座で、定式幕が引っ掛かった魚宗見たな…。庭先で目出度し!なんだけど、幕が三分の一進んだとこで動かなくなってね。その間、下手の二世松緑が芝居続けてて、やっと動き出したと思ったら、幕裾の縫い目が裂けてました。後の幕内の騒ぎを想像してドキドキしちゃった思い出があります。

そんなこんなだけど、貰ったから返すという「伝承」の実際が細々垣間見えて、オジサンは落涙寸前でした。

太陽/イキウメ(ネタバレ)

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複雑に仕掛けたフィクションが、あれもこれもという過去現在未来に関わる人類の問題点を炙り出す、見事な最大公約数!音楽含めハイセンスな演出を仕立てた前川知大君の企てを堪能しました。

「ギルバード・グレイプ」での浜ちゃん(浜田信也君)しか知らなかったが、色々な点でグレードの高い設定を咀嚼する義務を負った、大人な芝居と客席との潤滑油という彼のポジションが、とても良く判る舞台だった。舞台芸術でしかなし得ない、考え感じる貴重で濃密な時間を味わえました。等身大芝居の可能性を、見せてくれて有難う。

27日(日)まで青山円形劇場にて。

またもや、いや社会派坂手氏が、彼十八番の手練で311と向き合いました。絶望的な現実と詞的な劇空間が、交互に押し寄せる。テーマパークのアトラクションのような幕開きと、座・高円寺という箱を知り尽くした上で、降参と言いたくなるような空間処理。フィクション然としてはいるが、台詞の端々に飛び出す数字には、正直戦慄を覚える。

円城寺あや女史が、広い仕切りのない舞台で右往左往する様子が、遊眠社時代を喚起して微笑ましい、と言っちゃ失礼かしらん?「でも、もう飛べないよ」とはご本人の談。初日「(斉藤憐氏の49日前と言う事で)献杯」に加えて貰い、皆さんと高円寺御用達の居酒屋へ。興が乗り、坂手氏と二軒目。

彼とは古いのだが、実は飲み交わした事が無かった。ま、作る物が両極だがらな。俳優と演出家との関係など、随分実際面の話をする。こっちが言葉足らずなのを、汲み取ってくれつつの会話だった感じがする。誘ってくれたのは彼なのだが、立派な肩書きの持ち主が、無位無冠の一演劇人に付き合ってくれたような気がするというのは、全く僻み根性と言うものだろう。いや、彼の包容力に、私が酔ったのだ。楽しくってね、気付けば午前3時でした。

45周年の記念に、過去の記録映像を見ながら、坂田藤十郎丈と中村梅玉丈のお話を伺うという企画。司会は、今や顧問の肩書きを持つ、国立劇場歌舞伎公演生え抜きの演出部だった織田紘二氏。

開場公演(昭和41年)菅原の車引!二世鴈治郎の時平、八世三津五郎の松王、二世尾上九郎右衛門の梅王、七世尾上梅幸の桜丸!をはじめ、昭和56年までの軌跡を辿る。

大半がモノクロなのだが、主役を勤めた殆どが今は亡き…という感傷もあるが、何より歌舞伎という演劇の豊かさを再確認して、涙が出そうになった。絵空事とリアリティが混然一体となった化け物!この感動が私の原典なんだ!そして花組芝居の動機そのものなんだ。有難う「歌舞伎」!

ボジョレーヌーボー

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DVC00503.jpg昨日、ご贔屓様より頂戴しました。Sさん有難うございました。


新しいワインは、ごく軽めで多少ツンツンした感じなのだが、頂いたのは濃くがあり、ヌーボーと言っても高級なものらしい(ワイン好きだが、知識は全くない)。美味しく頂戴しました。

もう、そんな季節なんですね。後、一ト月少しで平成23年も終りか…。やっぱり311の揺さ振りで、表面に上って来た数多の「澱(おり)」が、日本を萎縮させてしまったというガッカリ感が強いな。

311に真っ向挑んだ仰天作!同じマンションの三階に住む人々が、311を境に変化して行く様子を丁寧に見せる。勿論、人間愛に溢れた鈴木聡氏であるから、高岡夫婦(福本伸一君と三鴨絵里子ちゃんのやり取り、もうベテランの域であります)が、燦々と光が注ぐベランダで、のんびり会話するラストは、実にのどかであるのだが、それでも被災地は瓦礫の山だし、太陽輝く空からは放射能が迫っている!と考えると、恐ろしい幕切れである。

客席が良く笑い、そして311の現実を語る件(ボランティアから帰った真鍋役の俵木氏の「俺も死んじまったみたいでよ」だったかな?)では、場内がゆっくりと凍りつく。賛否両論あろうが、「避けられなかった」と漏らす聡氏の潔さを、私は認める。

20日まで新宿紀伊国屋ホールで上演されています。

白黒

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先月の或る夜半、実家の塀へトラックが突っ込んでしまい、ご自慢の板塀がひしゃげてしまったのだが、先日、ようやく修復が終わりました。DVC00488a.jpgただ、新しくしちゃったんで、いじらなかった年季の入った古い部分と、こんなに色の差が出た。


ま、芝居なら「汚し」を掛ける所だが、そうも行かず、暫くこのツートーンが、往来の人々の話の種となるだろう。同じ色になるのに何年掛かるのかな?それはそれで楽しみだと言える。

すんなりな舞台と客席だった。俳優はやり易かったんじゃないかな。直前の舞台稽古は客席がカラだから、様々戸惑いがあったらしいが、初日にも関わらず、客席が緊張してない!勿論、裏はド緊張でしょ。あのテクニカルはスタッフ大変ですよ。でも、その緊張感が、客席に漂ったりも一切せず、こんな大きな企画でも、落語というテーマとイメージが明確なシリーズだから、安心感が最初にある。DVC00492.jpg何せ坂東己之助の無垢さと、男子が大人になり掛け感満載の、背伸び含めた「男臭さ」が旬な感じ。出だしの台詞が、小劇場中心の連中と違う、世話狂言風なニュアンスなのが、幸か不幸か流石本道を行く大和屋の御曹司!と感じたが、回りがズンズン世界を作って行くので、若さの素直さで、ちゃんとハマって行きました。画像は、17年前の「イルマ・ヴェップの謎」で演出させて貰いました松尾氏、咲酒屋、そして同夜に観劇していた天宮良氏でした。

「もっと判り易くして」という意見があったそうだが、重いテーマを、アングラ的にごちゃごちゃさせる事で、見る側に、逆に距離感を感じさせ、それ故に、より本題へ素直に踏み込める。その方が「腑に落ちる」ように思う。

DVC00490.jpg詞的なムードは、唐十郎~内藤裕敬~松村武、確信犯松村君的には「小劇場へのオマージュ」なのか?だからこそ、鮭のオバケの馬鹿馬鹿しさは、種明かし後の二度目の登場で恐ろしく感じ、古事記と311が繋がる小気味よさが、本来の「小劇場」だと再確認した。それはまさに、ぼくにとって「かぶき」なのだ。ストーリー煩雑、時空間は飛びっぱなし、なのに「ああ、これが言いたかったのね、やりたかったね」を感じる「わかり易さ」。

311以来、演劇が何が出来る?という演劇人全員が抱えている課題を、松村流にきちんと見せて貰いました。「美しい都」が消えたと宣言する幕切れは、ショッキングです。画像はお久し振り、ゲスト出演河野洋一郎氏(南河内万歳一座)。味のあるヒーローをお勤めです。

10年目の再演。久し振りにケラ氏の作品を見る。小劇場というジャンルの、様々な進化の或る種の雛形を感じた。小劇場が生み出した個性的な俳優陣の宝庫と、キューブというとても目の効く組織との、見事な融合を目の当り!質と量のバランスの良さが素晴らしい。恒例、センスの良い映像とプログラムの拘りに、改めて感動。

そのプログラムのインタビューでケラ氏が題名を失念していた、竹内銃一郎氏がパリの日本人を描いた「今宵限りは」の再演で、私、藤田嗣治をモデルにした「オカダ・レンジ」を勤めました。演出の竹内氏から要望されて、実在の藤田嗣治と同じく、黒ブチ丸眼鏡に、前髪をおかっぱに切り揃えて出演しました。懐かしい!

作・演出の斎等憐氏が先月12日ご逝去なされたので、急遽追悼公演となり、東京でのたった2ステージは満員との事…。観世榮夫氏の助手として結城座の現場にいらして以来、46年!江戸期には歌舞伎をも脅かした江戸系あやつり「結城座」が、明治期に編み出した、それまでの人形芝居ではタブーであった、人形遣いが台詞を言うという新機軸。その構造と歴史を知り尽くした憐氏の、究極な作・演出です。

「宦官提督の末裔」に出さして頂いた一俳優ですが、劇作や演出もする人間として、この90分に人形芝居の演劇的な可能性の全てが見られます。(溜息)もう新しい事も思い付かないな…な程の傑作です!原作者、江戸川乱歩が「写し絵(九世結城孫三郎)」を楽しんでいたという事実から立案された企画だが、黒色すみれ(ポップな邦楽?音楽実演)と、上等なアングラ感覚、そして400年近い伝統との、至極自然なコラボが「超」現代演劇で素晴らしい。これ、私の理想の一つです。

Brobon企画などでお世話になっている藤谷みき丈出演とあり、因縁の劇団を改めて拝見。

以前、さる演劇フェスティバルの審査員を勤めたのだが、他の審査員が押さなかった「ひげ太夫」さんを、私が頑強に押し、「命拾い(作・演出の吉村やよひ氏談)」した経緯がある。その後、自分の劇団活動等で余裕がなく、遠のいていた。改めて拝見して、他に類のない自分達のカラーを、更に技術的にも進化させた舞台が見られて、嬉しかった。客席にはご常連も居るようで、あの時、良しとした自分の目が正しかったと再確認。有難う!

DVC00472.jpgそして、「偶然」にも不愉快なのと愉快のとがあるが、帰りの電車で白井晃氏と乗り合わせた。先日拝見した「天守物語」では、終演後の楽屋廊下での乾杯に、篠井氏の「咽喉を潤して行ってよ」の言葉に甘え、参加させて貰ったのだが、演出の白井氏はスタッフとの打合せが長引いて、ご挨拶も出来ず終いだった。


同車したほんの短い時間だったが、舞台の感想と花組での演出方針(白井氏は花組版を見ていない)をお話出来た事が、今宵、嬉しかった事の二つ目となりました!

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