開幕直前座談会 其の1

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吉原豊司(翻訳)×加納幸和(構成・演出)×水下きよし(出演)

5月25日にザ・スズナリで幕を開ける花組ヌーベル『ハイ・ライフ』。この痛快なカナダ戯曲を日本に紹介した功労者が、翻訳者の吉原豊司さんです。現在バンクーバー在住の吉原さんが、花組芝居の稽古場を訪れてくださり、加納と、『ハイ・ライフ』花組初演(2005年)のきっかけにもなった水下と大いに語り合いました。

構成・文=山村由美香

リアルだけど寓意もある『ハイ・ライフ』

――花組芝居の普段の作風とはかなり違うタイプの作品ですが、初演でこの戯曲を取り上げたきっかけは?

加納 確かにうちは、いつも和物をやっているわけじゃないんですが、基本的にそういうイメージがありますよね。それで、本公演以外に少人数のものやイメージがかけ離れているものを取り上げる「花組芝居OFFシアター」というユニットを立ち上げたんです。そしたら佐藤治彦さんという経済評論家でお芝居もされている方が、この作品をやってはどうかと『ハイ・ライフ』を紹介して下さって。
CIMG2598.jpg水下 もともとハナオフは俺が始めて、第一弾として土田英生さんの『その鉄塔に男たちはいるという』を演出したんですね。それを佐藤さんが観てくださって、面白かったみたいで話を持ってきてくれたんです。 
加納 そう、それで僕は台本を見せてもらって、初めは自分はどの役ができるかなと思って読み出したんですけど、「あれ、僕のやる役がないな」と。同時に、今回の再演では違う役ですけれど、ディックは水下じゃないかと思ったんですよ。で、本来は水下が演出する企画だったのを、水下のディック役で僕が演出したいと言って奪い取っちゃったんですね(笑)。
吉原 花組芝居さんから『ハイ・ライフ』を上演したいというお話を頂いたときは、びっくりしました。この作品とは、あまりにスタイルが違う感じがしたので。でも嬉しかったです。
加納 うちは歌舞伎のイメージはありますけれど、基本はリアリズムですし、実は歌舞伎自体の考え方も、根本はリアリズムなんですよ。僕が大学(日本大学芸術学部演劇学科)で学んだメソッドとかも、「同じことを歌舞伎俳優の芸談で読んだことがあるぞ」というところがあったりして、目からウロコでした。
吉原 歌舞伎の役者さんがリアリズム演劇にもたくさん出てますけど、やはり、そういう必然性があるんですね。
加納 ええ、立居振舞いとかのタッチは違っても、役と内面との関わりという部分ではいつもやっていることですから、入りやすいんだと思います。それが分かったからこそ僕は、歌舞伎の様式を使ったものを自分たちでやろうと思ったんですよ。ですからリアリズムの芝居もやりたい気持ちはずっとあったんですが、お客さんにも花組のイメージがあるだろうし、新劇で取り上げるような戯曲を、ただやるのはどうだろうと思っていて。それがひょんな流れで『ハイ・ライフ』をやることになり、リアリズムの血が騒いだみたいなところがあって、作っていて楽しかったですね。
水下 俺もやってて楽しかったです。変な話、お客さんの中には、うちはこういう芝居はできないと思っている人も多いんですよ。でも、日常生活で普通にしていることですから、できないわけではないんですよね。現代の言葉を使って芝居するのも違和感ないし。
加納 また、この戯曲がほんとに良かったのは、リアリズムなんだけれど寓意もあったりするから、演出の面ですごく許容量のある戯曲だなと思ったんですよ。ある種、様式的にもできるなと思ったんで、空間の使い方も思い切ってシンプルにしました。音楽も最初の思いつきで、バッハを使ったり。
吉原 ほお、バッハというのは面白いですね。
加納 芝居の設定であるドラッグとか裏社会とかよりも、人間同士の関わりの在り方、それはプラスもマイナスも、善も悪も、言っちゃえば生も死もあるというドラマであることを出したかったんで、ちょっと崇高な感じが空間にあるといいかなと思ってバッハにしたんです。曲自体に感情がないものというのも選んだ理由の一つですね。


閉塞感に対するカタルシスが魅力

――『ハイ・ライフ』はリー・マクドゥーガルというカナダの作家が1996年に書いた作品で、日本初演は2001年の流山児★事務所公演ですが、この戯曲を吉原さんが翻訳することになった経緯を教えてください。

CIMG2634.jpg吉原 僕はトロントで初めて『ハイ・ライフ』を観て、これは面白い芝居だと思って、どこが上演するとも決まっていない状態で訳したんです。まあ一種のスペキュレーションですね。それをたまたま流山児さんのところに持っていったら、飛びついてくれたんですよ。

――上演予定のないまま翻訳してまで日本に紹介したいと思わせた、この作品の魅力とは?

吉原 要するに、閉塞感に対するカタルシスだと僕は思います。縦横十文字に縛られている日本の平均的な人たちがこの芝居を観たら、胸がスカッとするんじゃないかなと感じて。本当は自分たちもやってみたいようなことを自由人たちがバンバンやってしまう、その胸のすくようなアウトローぶりがいいんです。僕自身もサラリーマンをしていたから、観たときに快哉を叫びましたね。
加納 トロントで上演されたときも、お客さんはそういう反応だったんですか? 作家のリーさんもそれを狙って書いたんでしょうか。
吉原 リーというのは、こんな芝居を書くわりには非常に常識的な人間なんですね。本業はミュージカルの俳優なんですけれど、たぶん彼もその世界で、いろんなしがらみや鬱憤があったのではないかと(笑)。それがバーンと爆発したのが、この戯曲だと思うんです。これがリーの処女作で、その後も何本か書いてるんですが、これに敵(かな)うものは書けていない。それだけ彼の思いが詰まっている作品だってことなんでしょうね。
加納 カナダでもドラッグは、アメリカと同じくらい出回っているんですか?
吉原 場合によってはアメリカ以上と言えるんじゃないかと思います。ただ、これはドラッグの出てくる芝居ではあるけれど、別にドラッグじゃなくてもいいんですよね。
加納 確かに。
吉原 この戯曲はつくりがユニバーサルですから、いろんなやり方ができる作品だと思うんです。光の当て方によって、いろんな違う光が返ってくる本という感じがしますね。一応、作家のリーはカナダのハリファックスという街でこれに近い体験をして、それをベースに書いているそうですが、世界中どこを舞台にしてもできるでしょう。
水下 俺は最初に読んだとき、男子高みたいな話だと思ったんですよ。仲間同士でああだこうだ言って、失敗しようが成功しようが盛り上がって楽しんで、この人たちって子供のころから同じような感じでやってんだろうな、智恵のない高校生みたいだなと(笑)。このノリは男の子特有のものだと思ったんですよね。女の子が四人集まっても、こういう話にはならない。男が大人になっても持っている幼児性がよく書けていて、しかも四人とも性格がはっきりしている。これは俳優はやってて面白いですよ。
吉原 そうでしょうね。
水下 台詞の長短はありますけれど、それぞれ役どころがしっかりしていて、ちゃんと芝居が絡むでしょう。芝居的にもすごく発散できるし、緊張感がありながら、どっか抜けていたり、俳優にとって面白い戯曲だと思います。
吉原 翻訳するときに、オリジナルのキャラクターをどうやってそのまま出すかというのは大切なポイントで、いつも注意していますけれど、この戯曲はすごく翻訳しやすかったですね。キャラクタライゼーションがよくできていますから。翻訳に苦労する作品もありますが、これはすんなりできました。

CIMG2663.jpg――初演は当て書きと言われても信じそうなくらい、キャスティングがはまっていました。

加納 初演のときは、登場人物が四人で逃げられない状態で全部書いてあるので、素地が合わないとキャラクターをつくるといっても限界があるだろうと思って選んだんです。ただ、最終的にあのメンバーになったのは、四人のバランスが大事だったから。こっちを立てると、こっちが合わないという感じで、ずい分悩みました。一つ一つの役だけ考えたら、劇団員の中で他の選択肢もあったんですよ。



まだまだ続く座談会 其の2 近日公開!