「婦系図」といえば、泉鏡花の美しい日本語につきますね。毎回、鏡花作品を演じる喜び、楽しみ、そして表現の難しさを感じます。
又、今回の仲間と演れる事を幸せに感じます。
楽しみにしてて下さいませ。 原川(^-^ゞ
いやはや、間に落語やらなんやら入りながらも残り一週間とはびっくりでさ!
稽古始まる前になぜか漫画喫茶で婦系図のDVDをみてて、大きな声をだしちゃいけないから、面白いとことか声殺して笑ってましたよ!
そして、えっ!?
こんな悲しい話なの!?ってびびった記憶がありやす!
さあ!どんな感じになるのやら、どんな配役になってるのやら、楽しみにしていてくださいませ!
おれはあれだからね!
あれですよ!
お楽しみにーー!!
雛飾りもそうですけど、実家にはやけに立派な五月人形や鯉のぼりが有りましたね。
飾っていないだけで、今でも有るんでしょうが。
I'm free to be whatever I
Whatever I choose
And I'll sing the blues if I want
I'm free to say whatever I
Whatever I like
If it's wrong or right it's alright
気分的にはGuerilla Radioですけど。
「婦系図」初演の際は当時の「ベニサンピット」の稽古場で稽古をしていました。
「あれ、ベニサンだったよなぁ…」
近年、記憶に全く自信が持てません(落涙)
舞台の美術プランは「カルーセル」をモチーフとしたものだったので、高低のある円形の回り舞台でした。
本番中に「一大事」が起こった事はご存知の方も多いと思います。
稽古用に組んだ高さのある仮の舞台装置上で、ベニサンの梁やら天井に引っ付きながら稽古をしていたのが印象に残っています。
今日では二子玉川をホームグラウンドとして活動している事を思えば、公演毎に他所の稽古場をジプシーしていたのも、今となっては何とも懐かしい思い出です。
では、二子玉でお会いしょう。
あなたの素敵な一ページになりますように。
洋
今日久しぶりに本格タイ料理を食べたんですよね。( ̄ー ̄)トムヤンクンと店主オススメの春雨サラダ。香草のばっちり効いた辛さで汗みずくで食べたよね。
五年前は食べられなかった物がくせになる程美味しくなってる。
味覚って変わるなぁ。
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こんばんわ。
堀越涼です。
先日は、あやめ十八番のアトリエ公演『淡仙女』に、たくさんの花組芝居ご贔屓の皆様にご来場頂き、誠にありがとうございました。
あやめでは、作・演出を務めさせて頂きましたが『婦系図』では、一人の役者として、精一杯頑張りたいと思っております!
……。
自分で、劇作に挑戦したり、こういう風にたくさんの皆さんに向けて文章を書くといつも感じるのですが、日本語って、難しいですよね。上に書いた、挨拶、なんだかおかしくないですか?大丈夫ですかね?『先日は』って表現はあってるのかな?助詞は間違いないかな?『誠にありがとうございます』が正しいのかな?また、ちょっと下にきて『務めさせて』は漢字あってる?『努めさせて』か?『勤めさせて』?これはない?とかね。
これだけの短い文章で、もう二回もグーグル検索をかけているんです。本当に語彙がなくて、無知で恥ずかしくなりますが。
まだまだ新米で、戯曲の書き方など何もわからないまま台本を書いていましたが、それでも自分で芝居の台詞を書くときは、一つ、なるべく綺麗な日本語を使おうと意識しています。
勿論、現代劇ですので、所謂、若者言葉も使いますが、それでもなるべく綺麗な表現になるよう言葉を選び、出来るだけ品のない言葉は排除するよう心掛けています。効果としては用いますが、普段使っているような、やべえ。ぱねぇ!だけでは、物語は進行しません。
今。
役者として、泉鏡花に向き合うと、その圧倒的な日本語の美しさに驚きます。なんて、綺麗なんだろうと。若い舞台俳優の多くが、こうした素晴らしい日本の戯曲に触れること無く、自分達の言葉だけでお芝居を作っているのは、とても寂しいことだと思います。
座長、ありがとうございます。
僕たちは幸せものです。
若手連も奮闘していますから、『婦系図』是非ご注目下さい。
頑張らなくちゃ。
さて、いよいよ「婦系図」初日まで一週間程となりました。
「天守物語」以来、約一年ぶりのリーディング公演。
いつもの稽古場が劇場になるという、不思議な感覚を覚えています。
セーヌフルリが今度はどんな空間になるのか、お楽しみに!
ご来場お待ちしております!
でわでわ。
泉鏡花の台詞、久々です。
難しいけど懐かしい(^_^)
素敵な日本語です。
役者連奮闘中!
やまと新聞に連載(明治40年1月~4月)した時は無かった「早瀬の遺書」が、初めて単行本で出版された折に、終末に付記されました。
実は、早瀬主税が復讐の矛先を向けた「河野家」は、浜松に実在した医師がモデルらしく、その差し合いからか、不貞だらけと見えた一族は、主税の作り話だったとする、腰砕けなどんでん返しが設けられたのでした。
が、その後、春陽堂から出版された「泉鏡花集」では、「二十一行(遺書の部分)抹消。前編後編を通じその意味にて御覧を願う」という後書きを、鏡花自ら添えて、再び「河野家」のスキャンダルが暴かれる格好になりました。
勿論、鏡花の意志のまま、遺書は無かったものとして脚色しております。
桜の若葉を眺めつつ。
今日は。お〜いです。
『婦系図』のピンスポットを当ててくれていた、図体のでかい奴が、
作品を物凄く気に入ってくれていたな〜
とフト、野球を観ながら、思い出しました。
草野球仲間でもあります。
さ、バッテング練習じゃなく、
お稽古お稽古。